1987年
日米半導体協定不履行を理由に米国政府による
通商法301条に基づく報復関税措置
〜業界動向〜


日本の半導体生産は第1次半導体協定の期間中も好調を維持し、販売額で1987年には米国を抜き世界のシェアトップに踊りでた。この間1987年には第1次日米半導体協定の期限が迫ったが、米国側は日本の半導体市場開放が不十分であり、米国以外の第三国で日本製半導体のダンピング販売が続いていると主張し第2次日米半導体協定の交渉に入った。この結果日本は「1992年までに外国製半導体の日本国内シェアを20%以上にする」「四半期ごとに販売およびコストデータを収集し自己責任でダンピング回避を行う」ことを主な内容として第2次日米半導体協定が結ばれ、基本的な協定の内容は継続して実施されることになった。この中で国内シェア20%以上という具体的目標が示されたのは今回がはじめてであるが、シェア野算出方法をめぐっては日米間で基本的な相違があり、F1(Formula1:外国系半導体をブランドで定義、同時に分母に内製分も取り込む)F2(Formura2:外国系半導体を最終組み立て国で定義し、内製分を分母取り込まないで外部購入分のみ)の2つの方式が議論され、結果的に両者併記することで進められることになった。

またダンピング防止についてはFMV(Fair Market Value)の弊害が目立ち始めたことによりこれを廃止し、日本企業自身が四半期ごとの販売データとコストを収集(Data Collection)し自己責任でダンピング防止を行い、米国政府のダンピング調査が開始された場合は14日以内にデータを提出できるようにしておく(Fast Track)ものであり、第1次日米協定のFMVに比較すると実態に即したものであったが、日系メーカにとっては厳しいものであった。


【参考文献】
「一国の盛衰は半導体にあり」牧本次生 工業調査会
『ICガイドブック(2006年版)』(社)電子情報技術産業協会
『ICガイドブック(2009年版)』(社)電子情報技術産業協会


【移動ページ】
業界動向/該当年代へ


【最終変更バージョン】
rev.000 2010/10/15