1997年
アジア通貨危機
〜業界動向〜


1985年のプラザ合意以来、アジア各国の通貨は米ドルと事実上のドル連動性となり、その後のドル安傾向にともないアジア通貨も安い水準を続けた。この結果、特に円高となった日本からは相対的に安い賃金水準のアジア各国に製造業のシフトが起こっていた。この間アジア各国の経済は発展を続け1990年代には土地等を含む一種のバブル状況となったといわれている。これは各国通貨が相対的に安い米ドルに連動して安定していることを前提に盛んになった、米ドルでの海外からの投資の受け入れを前提としたものであった。

この傾向は数年間続いたが、1995年になり米国はドル安政策をドル高政策に急転換し、アジア通貨も連動しているために結果的に通貨高となりアジア各国の輸出は急減し経済成長の先行きに不安感が顕在化してきた。1997年にアジア通貨の先行き不安を商機とみたヘッジファンドのタイバーツへの空売りをきっかけに、海外資本のタイから引き上げ傾向は顕著になり結果的にタイバーツへの更なる下落圧力で対ドル変動性への移行、バーツの通貨安に陥った。同様な問題をはらむマレーシア、シンガポール、インドネシア、韓国等各国通貨にも混乱は広がったが、この結果大幅に高くなったドルに対し各国通貨ベースでの相対的な対外債務は急速に拡大することになり、特に影響の大きかった韓国では債務不履行(デフォルト)寸前の状況にまで達した。韓国はIMFの緊急融資を受けることにより救済されたが、その後IMFの厳しい監視下に置かれることとなった。

この影響でアジア各国の景気は大幅に後退し、盛んに行われていた新規投資は全てストップしたために電子機器の域内需要も冷え切ったことは半導体の需要にもマイナスの影響を与えた。

このアジア通貨危機は一時的に各国に極めて深刻な影響をもたらしたが、長期的に見ると以下のような面で各国の新たな発展の契機になったことも事実である。
(1) 各国の通貨は米ドル、円等に対し更に安くなり製造拠点としての復活に繋がった。
(2) 韓国ではIMFの管理下で企業のリストラ、再編、労働市場の柔軟化、財閥の解体、健全化(相互信用保証の撤廃)等を含む大リストラが行われ、その後の韓国の国際競争力強化に繋がった。

特に半導体産業に関連してみると
(1) アジア各国の通貨安のメリットが大きくなり、日系を含む海外セットメーカの生産基地としての地位を回復した。特にグローバルEMSの進出が盛んになり、従来の日系メーカ中心の時期にくらべ半導体の購買形態、流通等に大きな変化が起こった。
(2) 韓国では政府主導の半導体メーカの再編が行われ、その後の半導体産業の強化につながった。
(3) 同時に韓国半導体メーカでは徹底したリストラとグローバル基準の徹底で企業競争力 は飛躍的に拡大した。
といった影響が考えられる。


【参考文献】
1) ICガイドブック (社)電子情報産業技術協会
2) 岐路に立つ半導体産業 佐野昌 日刊工業新聞社
3) 技術発展と半導体産業 宗娘沃
4) 半導体産業における三星電子の競争戦略 吉岡英夫 九州大学大学院 ルネッサンスプロジェクト


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【最終変更バージョン】
rev.000 2010/10/27