賑わった「群盲触象」の研究会


写真A  1951年7月開催のトランジスタ研究連絡会の記念写真 (拡大可能)


写真B  松島海岸でボートに乗る菊池氏(手前)と西澤氏

 米国発のトランジスタ情報が伝わると、日本国内にはいくつかの勉強会や研究会が立ち上がる。何か大変なものが発明されたらしいということは感じ取ったものの、肝心の中身の方がさっぱりわからない。そこで仲間が集まって、詳しい情報を分析したり、拠って立つ理論を勉強しようというのが狙いである。そのハシリになったのが、米国での正式発表直後の1948年10月、東北大学の渡辺教授と電気試験所の駒形所長が音頭を取って発足した勉強会。あくまでも私的な集まりだったが、東京の永田町の試験所2階の所長室に月1回ほどの割合で集まり、3年近く続いた。当初は大学・研究所関係者が中心だったが、やがてメーカー側の参加者も加わり、日本の半導体研究の基盤づくりに寄与した。試験所の同僚と第1回の会合から参加した菊池誠氏は、「初めのうちは文献もなく群盲象を撫でるような議論が続いた。大ボス、小ボスが集まってガヤガヤやっている感じは否めなかったが、お互いが大なり小なり蘭学事始の杉田玄白にも似た志を抱いて参加していた」と当時を振り返る。
 この勉強会は翌49年3月に「トランジスタ研究連絡会」に名称を変更している。文部省の科学教育局長を兼任していた茅誠司東大教授が渡辺教授の要請に応えて、2年間で80万円の試験研究費をつけたことが引き金になった。
 写真Aは51年7月に同研究連絡会が東北大学で開かれた時の記念写真で、前列右から4人目に渡辺教授、後列右端に菊池氏、左側に西澤潤一氏の顔が見える。写真B は会が終了後、松島海岸でボートに乗る菊池氏(手前)と西澤氏。(写真は西澤潤一氏提供)

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