文革下の中国半導体産業

 
1980年当時訪問した上海の半導体工場

 中国には文化大革命以前の1965年に初めて訪問以来、20回ほど足を運んだが、写真にあるのは1980年当時訪問した上海の半導体工場。主力製品のトランジスタの組み立てを国産機で対応していた。
 中国の半導体産業は文革中に「電子大会戦」と名づけられた大衆運動として急進的に展開されたが、必ずしも実効をあげなかった。70年代に訪ねた北京市西城区半導体デバイス工場もその1つで、もともとは60人ばかりの家庭婦人が集まって家庭用の煙突とか糸紡ぎ機をつくっていた。それが電子工業の広範な広がりのなかで半導体工場に転換、シリコン単結晶の作成からトランジスタ、ダイオードなどのデバイス生産に次々と取り組んだ。といって、従業員は科学的素養に乏しい家庭婦人ばかりで、周囲からは「それでトランジスタをつくるなんて、アヒルが天を飛ぶようなものだ」と嘲笑の言葉を浴びた。聞けば、彼女らは始業前に近くにある精華大学に出向いて半導体の基礎知識を学んだということだった。
 しかし、意余りて実体を伴わずというべきか、こうした対応が実効をあげたわけではない。中国の半導体産業がICを主力にしてようやく本格化の様相を見せたのは、「八・五」期、すなわち第8次5か年計画に着手した91以降、それも外資との合弁効果があがってからだった。

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