草の根コンピューターの衝撃

 
「West-Coast Computer Fair」の展示風景

 私自身がパソコン時代の到来を初めて予感したのは、1977年4月、米国サンフランシスコで開催の「West-Coast Computer Fair」を見学した時だった。アマチュアやホビイストを対象にしたコンピューターショーとしては初めてとのことで、2日間の会期になんと2万人の参加者が押し寄せた(写真は同フェアの展示風景)。
 なかでも展示品の主流を形成していたのが、キット製品と呼ばれるもので、MITS、IMSAI、SWTPCといった、今日ではもはや伝説的な企業が人気を博していた。これらの製品の多くは、CPUボード( Intel社の「8080」かMotorola社の「6800」を使用)、メモリーボードなどに入出力回路、電源、筐体などを加えて、システム一式をキットとして発売するもので、ちょっと見たところ、がらくたのミニコンといった外観を呈している。
 このうち一番人気のMITSは「Altair8800」を出品していたが、元はといえば1968年、ニューメキシコ州アルバカーキで車庫を改造して設立された文字通りのガレージカンパニー。最初は電卓の組み立てキットを販売してたが、完成品の方の価格が急落したため客離れが目立つようになり、マイコンビジネスに転換した。組み立てには約40時間を要するが、完成したあかつきにはBASIC言語でプログラムを組むことができ、それなりのアプリケーションが可能になる。
このAltair8800の広告を見て、「もしかすると革命が起きるかもしれない」と予感したのが、かのBill Gates氏である。彼は仲間のPaul Allen氏と見たことも触ったこともないマシンのプログラム言語を仕上げてMITSに持ち込んだ。これこそが、その後事実上のパソコンの標準言語になった「Visual Basic」の誕生であり、今日のソフトウェア市場で一大勢力をなすMicrosoft社の出発点となった。

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