「20%シェア問題」の不条理

 
20%シェア問題をめぐって激論が交わされた日米半導体政府間交渉

 加熱一途をたどる日米半導体戦争のなかでも、こじれにこじれたのが外国系半導体の日本市場でのシェア拡大問題だった。日本メーカーが米国市場で20%台のシェアを確保しているのに対し、米国メーカーは日本市場で10%程度にとどまっている。これを同じ水準の20%に引き上げろ、というのが米国側の主張。
 結論だけ述べると、1991年には当時の渡辺美智雄通産相とヤイター米通商代表部首席代表が会談を重ねて新協定を締結、「日本国政府は、外国系半導体のシェアが1992年末までに20%以上になると米国半導体業界が期待していることを認識し、これが実現されるものと考える。日本国政府は、この期待の実現を歓迎する」と、おかしな文言で決着した。
 この目標数値が奇跡的にクリアされたのは、いつにかかって日本側ユーザーの涙ぐましい購入努力だった。「役所からの働きかけもあって、海に捨ててでも買わなければならなかった」という自動車大手購買担当者の悲痛な叫びが今も記憶に残っている。
 写真は20%シェア問題をめぐって激論が交わされた日米半導体政府間交渉。

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