民生応用にこだわったソニー

 
写真A WE社に研修中の岩間氏から送られたリポート(拡大可能)


写真B WE製の点接触型トランジスタ


写真C ソニー製の点接触型トランジスタ

 神戸工業に負けず劣らずの早期参入を果たしたのが、戦後ベンチャーのハシリといわれる東京通信工業(現ソニー)。同社は社長の井深大氏が戦時中に軍事開発の技術開発に関わったいきさつもあって、トランジスタの民生用途、それもラジオへの応用にこだわった。
 ベル電話研究所の製造部門でトランジスタ特許を管理しているWestern Electric(WE) 社との交渉は、契約料2万5000ドルを支払うとトントン拍子に進み、サインに漕ぎつけた。ところが井深氏が「これでラジオをつくる」と相手に伝えると、「ラジオへの応用だけは(高周波用途で無理だから)止めておけ。使うとすれば、せいぜい補聴器どまりではないか」とにべもない。しかし井深氏は「誰もやらないものをウチがやる」と自説を主張し、その通りになった。
 WEへの研修には当時取締役研究部長の岩間和夫氏(後に社長)が出向き、約20日間、主にニュージャージー州のアレンタウン工場に滞在した。問題なのは、WE側が現場でのメモやスケッチを一切認めない。やむなくホテルに戻って記憶をたどりながら細大洩らさず写真Aのようなリポートを作成して会社側へ送付、その数はゆうに30通を上回った。東京の開発部隊にはほぼ2日に1回の割合で届いたことになる。
 ちょっと信じがたいことだが、残留部隊はベルによる教本「トランジスター・テクノロジー」全3巻と当の「岩間リポート」だけを頼りに、それも岩間氏の帰国前に点接触型、接合型双方のサンプルをつくり上げている。リポートの中身がそれだけ実際的で詳細を極めたということだろう。ソニーはこれを踏まえて、1954年7月に外販に踏み切っている。
写真はWE製(B)と比較したソニー製の点接触型トランジスタ(C)。なるほど瓜二つのように似通っている。
(A:ソニー提供、B,C:西澤潤一氏提供)

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