トランジスタ生産一番乗りの神戸工業

 
神戸工業(後に富士通に吸収合併)が公開した試作点接触型トランジスタ

 日本企業で最初にトランジスタを生産し外販した会社はどこかといえば神戸工業(後に富士通に吸収合併)である。同社は1954年1月、東京・上野の精養軒でレセプションを開き、自社製の点接触型トランジスタとそれを使用したトランジスタラジオの試作品を公開、その直後の2月にトランジスタの発売に踏み切っている。その価格たるや1個3,000〜4,000円程度もしたというから、当時の部長級の給料と同水準だった。
 この開発で中心的な役割を担ったのが、当時真空管部長だった有住徹弥氏。「面白そうだ。まあやってみようか」と会社に内緒で始めたのが実った。氏はサンフランシスコ平和条約調印の51年に渡米、ベル電話研究所やRCA研究所でトランジスタ生産の現場を自らの目で確かめた。成果のほどは、直ちに装置や工程の詳細をポンチ絵を交えて日本の仲間に書きしたためている。その仲間の一人に入社間もなくの江崎玲於奈氏がいた。
 当の江崎氏がノーベル賞を受賞した際、私が編集していた「電子材料」で有住氏にお祝いの言葉を求めると、1枚の写真を添付して、「この写真は1953年の春から夏の頃、われわれが初めて本邦でつくったPNPトランジスタの写真で君も懐かしく思い出してくれるものと信じます。いま見るとリード線が随分大きくて、かつ長く、全体の構造が熱放散に対する配慮が足りないことが一目瞭然です」と寄稿されている。接合型トランジスタの開発でも一歩先んじていたのだ。
 有住氏はその後、名古屋大学教授に転じ、日本の固体素子研究の発展に寄与された。 (有住徹弥氏提供)

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