日米の専門家、沖縄料理店に集う

 
1971年に来日した際、日本側の半導体専門家との懇談会に出席したNoyce氏

 日本企業にとって日米半導体摩擦の正面の敵ともいうべきRobert Noyce氏も、日本市場への売り込みでは相好を崩して対応し、技術の話になると時間の制約そっちのけで語り尽くした。
 写真は1971年に来日した際、日本側の半導体専門家との懇談会に出席したNoyce氏。前列中央が同氏で左2人目が垂井康雄氏、後列は左から西澤潤一、菅野卓雄、伝田精一の各氏と志村。
 会場が東京・池袋の沖縄料理店になったのは、オーボエやチェロを奏でるNoyce氏が「蛇皮線の音を一度聴いてみたい」と言い出したのがきっかけ。その前年には、京セラの稲盛和夫氏に招かれた祇園の料亭で琴の音のとりこになり、翌日、シリコンバレーへの土産に琴一面を買い込んでいる。
 いつか氏と音楽談義を交わしていたら、「エレクトロニクスをやっている人間は皆、音楽のセンスがいいんだよ」とポツリ語った。

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