1996年
日米半導体協定終結交渉
〜業界動向〜


第一次日米半導体協定(1986年9月〜1991年7月)に引き続き第2次半導体協定は1991年に成立したが5年後の1996年2月に見直し交渉が行われた。日本側からは国内外国半導体シェアが目標の20%を超えていること、ダンピングも起きていないことで協定の目的は十分達成。政府の関与は不要であり、市場原理にゆだねるべきである。さらに今後の枠組みとして日米のみならず多極も含んだ「世界半導体会議(WSC)」の設立の提案を行った。一方米国側は協定がなくなることによる外国半導体シェアの低下、ダンピングの再発を懸念し、政府関与の継続、日米2国間の「半導体会議(SC)」を主張しお互いの主張が食い違ったままで同年7月のバンクーバーでの最終交渉に臨むこととなった。この間メンバーのねばり強い交渉の結果、ようやく10年間続いた日米半導体協定は終結することになった。

また日本側の主張した多極も含んだ「世界半導体会議(WSC)」で業界間でダンピング防止の枠組みを定め、加盟メーカの自主参加を求めることも合意され、欧州、韓国をメンバーに加え1987年に第1回WSC会議が開催された。


【参考文献】
『一国の盛衰は半導体にあり』牧本次生 工業調査会
『ICガイドブック(2006年版)』 (社)電子情報技術産業協会


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【最終変更バージョン】
rev.000 2010/10/15