1983年
日本製半導体の急速なシェアの拡大に対し、
米国半導体メーカの危機感増大
〜業界動向〜


1. 経緯
1.1 日米貿易摩擦
1960年代後半からの線維、鉄鋼等の基幹産業製品の日本からの対米輸出急増に対し米国は日米政府間交渉による輸出規制を続けていたが、更に1970年代になっても日本からの対米輸出は増え続け対日貿易赤字幅は増大、また品目でも鉄鋼、自動車、カラーテレビなど米国の基幹産業に脅威を与える製品の日本からの入超が目立ち始めた。当初米国では日米間の交渉による自主規制、線維協定に代表される輸出量制限協定等で日本からの輸入を制限する方向で 対応してきたことがこの時期の特長である。

一方で1974年には米国通商法301条が制定され、外国政府の不公正行為に対抗して、米国政府が報復措置をとる権限と手続きの規定が行われた。さらに1970年台後半からは、対象となる製品は自動車、コンピュータなど基幹産業に及びはじめ、 日本の技術競争力の向上に伴う安くて品質の良い製品の対米輸出急増に対し米国内で集中豪雨的輸出への批判が起きてきた。この動きに対し1979年の米国下院でのジョーンズ・レポート(対日監視委員会報告)では 「米国商品に対する日本市場の開放」が勧告に含まれ、日本市場の閉鎖性が指摘され日本に海外製品の輸入拡大を求めるという新たな動きが加わったことが特筆される。

更に米国経済面でも1980年前半の米国経済は深刻な不況期であった。米国では増え続ける経常収支の赤字とともに1980年の実質経済成長率はマイナス0.5%、失業率も7.2%であり、消費者物価上昇率も13.5%と極めて高く スタグフレーションの様相を示しており、景気後退とともに米国産業界には不満が溜まり保護主義的な動きが広がっていった。

1.2 半導体産業
日本の半導体産業では1970年台後半より各社のDRAMへの市場参入が始まり、技術的にも米国製品をキャッチアップする状況となった。特に高い品質水準が評価され日本製DRAMがユーザである米国コンピュータメーカにも 認知される水準に達していた。

一方米国半導体産業界では、米国半導体産業育成政策強化に対する政府へのロビイング活動を強化するために、1977年にSIA(米国半導体工業会)が設立された。SIAは当初は超LSIプロジェクト等の日本政府の 半導体産業に対する援助政策に対抗し米国政府の国内半導体産業への援助強化を中心とするロビイング活動を行っていた。しかし1980年に入り日本製DRAMの高い競争力が評価され米国のユーザへの採用が起こったことは 、米系メーカに大きなショックを与え、現実に64KDRAMでは米製品とのシェアの逆転・米国DRAMメーカの業績不振にもつながったことから米国半導体産業界に危機感が急速に広がった。 特にコンピュータや半導体といった重要な産業での日本に対する競争力低下の可能性は、おりからの米国の経済不振に起因する保護主義的な動きに拍車をかけ、また国防上の問題としても認識されはじめたことから 日本半導体の脅威に対する幅広いキャンペーンがSIAを中心に行われた。この中で1981年の「フォーチュン:日本半導体の脅威」、1983年の「ビジネス・ウイーク:チップ戦争・日本の脅威」に代表される日本半導体 への厳しい論調は、やがて日本半導体がアンフェアな競争を行っているという認識に変わってきた。

1985年になり、DRAMにおいて日米メーカの逆転が明確になり、米国 Intel、 Motorola、AMD、NSC、MOSTEC等従来のDRAMの覇者であった米系メーカの撤退など日系メーカの影響が顕在化し、 この時期にMicronがDRAMで日本メーカを提訴し、またSIAは日本製DRAMを通商法301条で提訴するに至った。

このための政府間交渉が開始されたが、この中で日本の米国へのダンピング輸出規制の動きと共に、日本の市場閉鎖性と市場開放が対象となったことは当時の米国全体の通商政策が反映されているものであり、 その後の日米交渉のなかでの具体的目標となった。

表1 日米貿易摩擦と半導体の状況推移
半導体の状況 全体の日米貿易問題
1969.1   対米鉄鋼輸出自主規制
1972.1   日米線維協定
1974   米国1974年通商法301条
1977   カラーテレビ対米輸出規制(1967年アンチダンピング提訴)
1977 SIA(Semiconductor Industry Association)結成  
1978.2   米国鉄鋼輸入に対するトリガー価格制度
1979.1   ジョーンズ・レポート(米下院・対日監視委報告)
1980 日本製16KDRAM世界シェア40%超える .
1981.5   対米自動車輸出自主規制
1982.6   IBM産業スパイ事件
1983年 日本製64KDRAM世界シェア70%超える  
1984.5 米国チップ保護法成立  
1985 米国 Intel、Motorola、AMD、NSC、MOSTEC等米系メーカがDRAMより撤退。 1985.9Intel撤退
1985.6 Micronが日本メーカをダンピング提訴  
1985.6 SIAが日本半導体を通商法30条提訴  
1985.9   プラザ合意
1985.9   米国通商政策(通商法301条積極発動決定)
1986 富士通によるFairchild買収計画(同年米議会の反対で断念)  
1986.7 日米半導体協定成立  
1986.11 対米工作機械輸出自主規制
1987.4 半導体協定違反を理由に米国が日本に対し3億ドルの報復関税決定 米国が債務国に転落
1989.6   米国が日本に対し第一回スーパー301条適用
1991.6 日米半導体協定  
1992.6   対米工作機械自主規制延長
出典 筆者作成
図1 日本の対米貿易統計(輸出入) 単位:百万ドル
資料:通商白書平成10年をもとに作成
表1 半導体の対米貿易(億円)
資料 日本貿易月報より作成

  1980年 1981年 1982年 1983年 1984年 1985年 1986年
米国 9.1 10.3 10.7 12.5 17.8 13.9 14.6
日本 3.8 4.8 4.8 6.6 10.9 10.2 13.9
表2 日米半導体生産額(百万ドル)
資料 米国:US Department Commerce 日本:機械統計年報による単純比較


【参考文献】
1) 『日米経常収支不均衡とプラザ合意』 日本経済論 2010年9月26日
2) 『日本製造業における構造変革』 新宅純二郎 2006年6月  東京大学21世紀COE
                 ものづくり経営研究センター
               MMRC Discussion Paper No.83
3) 『半導体産業と産業政策』 ダンピング問題のゲーム分析 後藤文廣 通商産業研究所 1990年10月
4) 『ジョーンズ・レポート(Task Force Report on United States-Japan Trade)』東京官書 昭和54年4月
5) 『日米経済摩擦の構図』佐藤定幸編 有斐閣 1987年
6) 『日本経済史特論』 櫻谷勝美 三重大学
7) 『一国の盛衰は半導体にあり』牧本次生 工業調査会
8) 『ICガイドブック(2006年版)』 (社)電子情報技術産業協会


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【最終変更バージョン】
rev.000 2010/10/27