1960年代初
国産ICのスタート

〜集積回路〜



1950年代にトランジスタの量産が始まると、ひとつの結晶に複数のトランジスタやダイオードを形成しようという集積回路の考えが出てきた。1952年にイギリスのJeffrey Dammerがこのような集積回路を発案している。この集積回路の実現を目指して、RCAのマイクロモジュール、Westinghouseのモレキュラーエレクトロニクス、TIのソリッドステートサーキットなどが開発された。初期の集積回路の概念は、モノリシックICというより後のハイブリッドICに近いものであった。この概念にしたがって、のちに基板に真空蒸着で抵抗やコンデンサを作りトランジスタと組み合わせる薄膜集積回路や、印刷技術により抵抗や配線、コンデンサなどを1枚のセラミック基板上に集積した厚膜集積回路が開発されていった。

日本においても、米国で集積回路の開発が始まったことを知った研究者の間で集積回路の開発が手探りで開始された。最初に試作に成功したのは、電気試験所の垂井康夫、傳田精一を中心としたチームである。1960年12月にゲルマニウム基板にトランジスタ2個、コンデンサ2個、抵抗2個を組み込んだ製品の試作に成功した。

これと同時期に三菱電機もWestinghouseのモレキュラーエレクトロニクスのサンプルを参考にしてモレクトロンの開発を進めており、1961年2月に11種類のモレクトロンを発表した。またNECも1961年に電子交換機用にマイクロパックを開発するなど、多くの日本メーカが集積回路の開発を進めた。ただし、当時はまだトランジスタそのものの信頼性も十分ではなく、集積回路でも信頼性などの課題が多かった。

現在のモノリシックICの源流となったのは1959年にFairchildのRobert Noyce が発明したシリコンプレーナIC技術である。この技術によってシリコン基板上に複数の素子を安定して形成することができるようになった。1963年、NECはFairchildとプレーナ特許の専用実施権を含む特許契約を結んだ。このころから日本において、現在のモノリシックICにあたる本格的なICの開発が始まる。NECは積極的にシリコンプレーナICの開発を進め、東大との共同研究も行い、その成果は1963年11月の電子通信学会で発表された。1965年ころになると、各社から、DTLやTTL、またリニアICなどのシリコンプレーナICの製品が販売されるようになった。モレクトロンもモノリシックICにシフトしていった。

図1 三菱モレクトロンの外観写真1)

図2 三菱モレクトロンウェハの変遷
(提供:ルネサスエレクトロニクス)


【参考文献】
1) 大久保利美 「半導体機能ブロック」 三菱技報 Vol.35 No.11 1961 PP104-117 
2) 中川 靖造 「ドキュメント 日本の半導体開発 超LSIへの道を拓いた男たち」 ダイヤモンド社 1981年


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【最終変更バージョン】
rev.001 2010/10/16