「謎多き人物」Polkinghorn

 
Polkinghorn氏の講演を掲載した電気通信学会雑誌(拡大可能)

 GHQの名の下にトランジスタ情報を日本の関係者に手渡した人物、Frank A. Polkinghorn氏については謎に包まれた部分が多い。セカンドネームが “Porkinghorn” と誤記されているものもあれば、その読み方が「ポルキングホーン」(一般的にはポーキングホーン)になっているものもあるといった具合。おまけに、ちゃんとした顔写真がないため、必要以上に「謎多き人物」になってしまう。ちなみに、GHQのあった第一生命本社では、MacArthur元帥の部屋が6階、民間通信局に属するPolkinghorn氏の部屋は3階にあった。
 当時の情報を総合すると、同氏はGHQが設置されると間もなく来日し、戦争で壊滅的状況に陥った日本の電気通信政策の再編を任務として着任した。もともとベル電話研究所の所員で、その道の研究で博士号も取得していたから打ってつけの役回りだったといえる。
 実際、占領政策の一環として「電力と通信の分離」策を打ち出すや、電気試験所から同所神代分室を中心とした電気通信部門を切り離して「電気通信研究所」の設置を断行している。電気試験所の駒形所長が例のトランジスタ情報を入手することになったのも、分離問題の交渉のため足繁くPolkinghorn詣でをしていたことと無関係ではない。
そのPolkinghorn氏が1949年3月7日、電気四学協会連合講演会で講演、その内容が「電気通信学会雑誌」の同年4月号に紹介されている。写真はその第1頁だが、「(日本の)工場には相当立派な設計の機械があり、すぐれた知能を持ち学校教育を受けた人達もいますが、その工場の製品の質は感心しません」と当時の技術状況には手厳しい。

| 前の記事へ戻る |  | 頁トップに戻る |  | 次の記事へ | |第T部一覧へ