第2展示室
マイコン事業の回想

プロローグ

2010 年6 月13 日、小惑星探査機「はやぶさ」が地球帰還に成功し、日本中が喜びに湧き上がった。8 月には東京駅近くのオアゾ内で「おかえり、はやぶさ」の・・・

LSI 時代の幕開け

1966年、2月。厳寒のフィラデルフィア、道端には雪が積もっていた。当時、私はスタンフォード大学に留学中であったが、恩師のリンビル教授から、・・・

マイコン誕生

半導体技術発展の歴史において、1971年のマイコンの開発は、47年のトランジスタの発明および58年のIC の発明と比肩できるほどの大きな出来事であり、3大イベントの一つということができる。・・・・

インテルか? モトローラか?

日立では70年代初期に電卓用LSIの開発・量産化で他社に先行したので、60%強のシェアを獲得し、急速に業績を伸ばした。73年の半導体売上はフェアチャイルドを抜いて・・・・

米国設計拠点の設立

1976年12月、日立の半導体事業部において大きな人事・職制の変更が行われた。その前年に事業部長が今村好信から重電部門出身のA氏に代わったことはすでに述べたが、職制変更にあたっての・・・・

CMOS 路線を巡る対立

同盟軍内の対立 マイコン事業におけるモトローラ社(以下、モ社)との提携関係は、77年のスタートの当初、双方共に「同盟軍」のような意識が強く、「両社で力を合わせて・・・・

ZTAT マイコンの製品化

ZTATマイコンとは?半導体の技術革新を促進する大きな要因の一つは旧技術と新技術との間の絶え間ない相克である。旧技術の製品を主としている企業はなるべく・・・・

両雄決裂の時

ZTAT マイコンの「ワインドダウン」1983年に開発着手したZTATマイコンは85年には開発が完了して生産が立ち上がり、あわせて国内外での強力な拡販活動が始まった。歩留などの諸問題もクリアされて・・・・

マイコン独立戦争

1989年は元号が昭和から平成に変わった年であり、一つの時代が終り、新しい時代が始まる節目を象徴する年でもあった。日立の半導体事業の体制も新たな転機を迎えることとなり・・・

ノマディック時代を先導したSHマイコン

モトローラ社とのマイコン裁判は1990年10月に全て決着となり、日立のマイコン事業は過去にとらわれることの無い自由度を得て、開発、生産、販売活動が新しく始まった。いわばマイコン独立戦争が・・・

F-ZTAマイコンとMCR

F-ZTAT(エフジータット)マイコンは第7章で詳述したZTAT(ジータット=Zero Turn Around Time)マイコンの後継機である。ROM部に搭載したのは、・・・

MGO:マイコン・グランド・オペレーション

MGO(Micon Grand Operation: マイコン大作戦)は日立のオリジナル・マイコン(H8マイコンやSHマイコン)の拡販のための生販一体作戦である。・・・

Windows CE プロジェクト

SHマイコンの製品発表が行われたのは92年11月であるが、93年に入ると拡販活動も活気を帯びてきて、次第にその名を世界に知られるようになってきた。

思い出のお客様

どんなに優れた性能のマイコンが開発されたとしても、お客様に使っていただいて、それを使った製品が市場で成功しなければ意味がない。処理能力が高い、消費電力が小さい、・・・