装置材料 目次
1947年に発明されたトランジスタは1950年代に工業化された。工業化に到るトランジスタ製造技術の発展には様々な装置、材料の科学・技術の新結合があり、 半導体デバイスメーカーと装置・材料企業や研究機関との多様な協働によって成立した。これらの新結合による製造技術展開は、1958,9年の集積回路(IC)技術の発明の契機となった。
最初の点接触型トランジスタはチョクラルスキー法によるゲルマニウム単結晶が使用された。
1950年代最初のSiトランジスタ形成に使われたシリコン単結晶形成には塩素還元法による金属シリコンが用いられた。1950年代末には、更なるシリコンの高純度化の要請によって、 水素還元法による金属シリコンが使われるようになった。
プレーナープロセスに発展させるn型、p型拡散層形成に気相拡散法が採用され、POCl3やBH3のガスが使われるようになった。シリコン熱酸化法はこの気相拡散法の開発過程で誕生した。
初期のトランジスタ形成に真空蒸着法が不可欠であった。さらに真空蒸着法によるアルミニウム配線膜の形成は、1959年のプレーナー型集積回路技術成立のコア技術のひとつとなった。
高純度化が要請される半導体製造において、イオン交換法による超純水が使われるようになった。
半導体への最初のリソグラフィ技術にはネガ型レジスト(KPR)が使われた。
プレーナープロセス型の集積回路技術の発明では、フォトリソグラフィによるパターン形成にステップ・アンド・リピートカメラが使用された。1960年代に登場するフォトリピーターや1970年代後半に登場する縮小投影露光装置(ステッパー)の原型となった。
トランジスタに続いてIC生産が立ち上がった。IC製造装置・材料は当初はデバイスメーカーの内製が主であったが、日米でデバイスメーカーからの製造受託によって製造装置・材料メーカーへの技術移転が進んだ。60年代末には製造装置・材料のほとんどが専業メーカーによって製造・販売されるようになり、半導体産業の水平分業化が進んだ。日本ではアライナーなどの一部を米国からの輸入に頼ったが、それ以外のほとんどは国内でのサプライチェーンが整った。
1960年代:Siウェーハ産業のサプライチェーン確立 [工事中]
1960年代、トランジスタやIC製造用のSiウェーハを供給する体制が整った。日本ではSiウェーハ専業メーカーが設立され、同時にSiウェーハを作成するための、素材となる多結晶Si、結晶作成のCZ炉、結晶加工用のダイシングソー・洗浄装置のサプライチェーンが確立した。1980年代以降の世界の主要供給国となる礎となった。
Fairchild Semiconductorで開発されたステップ・アンド・リピートカメラは、David Mann(GCA)によって1961年にフォトリピーターとして商用化された。コンタクト露光方式のフォトマスク形成に使用された。
コンタクト露光法用のフォトマスク製造においては、アートワーク(原図)を縮小したレチクルを作成する。この縮小には縮小カメラが用いられた。
1960年代のリソグラフィ用フォトレジストには、Eastman Kodak社のネガ型フォトレジスト(KTFR)が広く使用された。日本では1968年、東京応化がネガ型フォトレジスト(OMR-81)を国産化した。
1960年代、フォトマスクをウェーハに塗布されたフォトレジストに密着させてパターン露光するコンタクト露光方式が使われた。コンタクト露光装置は1965年から市販されるようになった。
1960年代初頭、集積回路製造の歩留向上に環境内の塵埃を低減させるクリーンベンチが不可欠となった。
熱酸化や気相拡散に使われるホットウォール型の横型拡散炉のサプライチェーンが1960年代に確立し、半導体製造に普及した。
トランジスタの電極やICの配線にAlの蒸着膜が使われた。1960年代初めに、抵抗加熱方式の真空蒸着装置や蒸着用材料が販売されるようになり、 サプライチェーンが出来上がった。
1960年にシリコンエピタキシャル成長法が開発された。60年代中頃にはエピタキシャル成長装置や反応ガスが市販されるようになり、 サプライチェーンが整った。
1960年代:パッケージ材料のサプライチェーン確立 [工事中]
ウェーハスクライバー・ダイボンダー・ワイヤーボンダー・樹脂封止用装置・材料のサプライチェーンが整った。
ウェーハカセットを用いて全自動プロセスを行うカセット・ツー・カセット方式が登場した。
湿式のフォトレジスト剥離を乾式剥離に変えるプラズマアッシャーが登場した。
1968年、フォトマスクのレチクル製作にアートワークに代わるパターンジェネレータが導入された。
イオン注入法は1950年代から研究開発が続けられ、1960年代後半に本格的なイオン注入装置が開発された。1970年代前半のイオン注入法の実用化につながった。
スケーリング則に従う先端プロセスの技術革新が、デバイスメーカーと製造装置・材料サプライヤ間のコラボレーションによって進められた。 特に日本では1976年に超LSI研究組合が発足し、半導体産業の共通基盤となる製造装置・材料の協創的開発が進められた。
1970年にSEMIが発足し、以来、半導体デバイスメーカーと製造装置や材料メーカーとの国際的なサプライ・チェーンの構築・発展に向けた業界団体活動が 進められた。
RCA洗浄が1970年に発表された。RCA洗浄は半導体プロセスにおける標準的な洗浄方式となり、40年以上にわたって世界で広く使われるようになった。
1971年に富士通から減圧CVD(LPCVD)法が発表され、1970年代中頃から減圧CVD装置が製造販売されるようになった。Poly-Si, Si3N4, SiO2等の成膜均一性、段差被覆性が大幅に向上し、半導体の微細化・高集積化に必須となった。
1972年に日立(現日立ハイテクノロジーズ)がFE-SEMを開発した。微小欠陥の低減がLSIの歩留や信頼性を制するので、SEMはLSIのデバイス・プロセスの開発に欠かせないツールとなった。
1973年、全自動のトタンジスタ組立ロボットが開発された。この装置はAWE(Automatic Wire-bonder with Eye)と称され、それまでトランジスターガールとも呼ばれた工場当たり1000人単位を要していた人手作業が自動化された。
1970年代:プロキシミティ露光装置およびプロジェクション露光装置
コンタクト露光方式から始まったLSIのリソグラフィ技術は、1970年代に入って微細パターンの解像度向上と欠陥密度低減の要請によりプロキシミティ露光方式やプロジェクション露光方式に代わった。さらに自動位置合わせ機構を備えて大幅な生産性向上が図られた。
1970年代後半に、コンタクト露光法に代わってプロキシミティ露光法やプロジェクション露光法がフォトリソグラフィの主流になった。それとともに、コンタクト露光法で使われたネガ型フォトレジストに代わってポジ型フォトレジストが多用されるようになった。
1970年代後半、配線層間絶縁膜やチップの保護膜に有機材料であるポリイミド樹脂が導入された。その後、ポリイミド系樹脂はLSI製造に欠かせない構造材料のひとつとなった。
1974年、シバソクは国産初のリニアICテスターを発売した。国産リニアICテスターの幕開けとなった。
窒化シリコン膜などを成膜するプラズマCVD装置が登場した。これにより、アルミニウム配線形成後の絶縁膜の低温成膜が可能になった。
LSI構造材の加工に、薬液を用いるウェットエッチングに代わり、反応性ガスのプラズマを用いるドライエッチング方式が登場した。終点検出機能を持つ完全自動プラズマエッチング装置が登場し、ドライエッチング方式の普及が始まった。
1978年、日電アネルバ(現キヤノンアネルバ)が反応性イオンエッチング(RIE)装置を開発した。レジストマスクの寸法に忠実な異方性エッチングを可能にした方式で、現在のエッチング方式の主流となった。
1978年、縮小投影露光装置(ステッパー)が登場した。同年、GCA(Geography Corporation of America)が10:1ステッパーの販売を開始した。同年、ニコンも超LSI研究組合に10:1ステッパーを納入した。縮小投影方式のウェーハ露光の幕開けである。
光露光に代わる微細パターン形成の候補として、1970年代から世界で電子線描画方式の開発が進められた。この方式は少量多品種のLSI生産などに使われたものの生産性が低く、汎用LSI生産には不向きであった。 一方、フォトマスクやレチクル製造には光方式によるパターンジェネレータ―では微細化によってパターン数が指数関数的に増加したために生産性に限界が生じ、電子線による高速図形発生が可能な電子線描画方式が不可欠となった。
サブミクロン領域の微細化時代を迎え、デバイスメーカーと装置・材料サプライヤとの協創的開発活動が一層活発になった。米国では独禁法が改正され、超LSI研究組合をモデルとしたSEMATECが発足して製造装置・材料を半導体産業の共通基盤と位置付ける認識が定着した。世界半導体の製造装置・材料の8割以上が日米で供給されるようになった。
10:1の縮小率でスタートしたg線ステッパーは1982年に5:1の縮小率となり、大幅に生産性が向上した。その後も高N.A(開口率)化が進められて解像度が向上され、本格的な縮小投影露光方式の時代を迎えた。
1979年代、g線対応のフォトレジストが開発され、1980年代のg線縮小投影露光方式が確立した。
1984年、光学式に代わる走査型電子顕微鏡(SEM)によるインライン寸法検査装置CD-SEMが開発された。これにより、光学的限界を追及するリソグラフィによる微細加工の高精度寸法計測が可能になった。
1985年、日本半導体製造装置協会(SEAJ)が発足した。
酸化・アニール・LP-CVDなどの工程で使用されていた横型炉が、サブミクロン・プロセスへの移行とともに縦型炉へと置き換わった。成膜均一性向上、微細パーティクルの減少とともに、装置設置面積の縮小、 自動化、石英部品の交換頻度低減などによりる生産性の向上が図られた。
1980年代後半:高密度プラズマ・イオン源枚葉式エッチング装置
半導体の前工程製造においては、ウェーハ露光を除き、洗浄・拡散・成膜・エッチングは複数枚のウェーハを一括処理するバッチ処理装置が主であった。1980年代後半に、エッチング速度を高める 高密度プラズマ・イオン源を採用した枚葉式のエッチング装置が主流になった。
半導体の前工程製造においては、ウェーハ露光を除き、洗浄・拡散・成膜・エッチングは複数枚のウェーハを一括処理するバッチ処理装置が主であった。1980年代後半に、先ずエッチング装置の枚葉化が進み、 更に成膜工程の一部が枚葉化された。これらの工程の枚葉化と共にプロセス・チャンバーのモジュール化が進み、マルチチャンバー型のクラスターツールが普及し、複数工程の連続処理や生産性の向上が図られた。
1987年に設立された米国のSEMATECHでは半導体製造装置の開発に力点が置かれた。これにより1990年代以降の米国半導体産業は製造装置・材料をテクノロジ・プラットフォームとし、デバイス企業は様々な用途を拓くデバイス設計で差別化してゆくビジネスモデルへ移行していくことになった。
フォトレジストの塗布・現像プロセスに使われるコーター・デイベロッパー(クリーントラック)は、1988年、処理室を多段に構成してウェーハをロボットアームで搬送する方式によって高スループット、 省スペース化された。
サブミクロン領域のVLSIプロセスとなるWプラグを形成するW-CVD装置が登場した。
198X年、三菱電機は西条工場にロボット・天井搬送システムとFAシステムを用いて完全自動化したファブが初めて実現した。後にSEMI規格が整備され、世界に展開された。
ディープ・サブミクロン時代に入り、ウェーハサイズも8インチ(200mm)になった。製造装置を半導体業界全体のプラットフォームとする国際的なコンセンサスが定着し、製造装置の標準化が進んだ。一方、パッケージプロセスではSiP(System in Package)化が重視されるようになり、新しいパッケージング材料のニーズが高まった。
1.3〜0.8μmプロセス世代に主流となったg線縮小投影露光方式は、1990年代の0.5〜0.35μm世代ではi線縮小投影露光方式へ移行した。
LSIの配線間絶縁膜に使われていたSiO2は、1990年代、微細化が進むにつれて配線間容量を低減するために誘電率の低いLow-k材料への置き換えが始まった。
1994年、バッチ式ウェーハ洗浄装置はそれまでの複槽式に代わって1つの処理槽で純水置換しながら薬液を交換して一連の洗浄処理を行うワンバス式洗浄装置が登場した。これにより洗浄工程の大幅なクリーン化、省スペース、省エネルギー化が進んだ。
1990年代後半:KrFエキシマレーザーのステップ・アンド・スキャン露光装置
1990年代後半、ディープ・サブミクロン領域の露光方式として、それまでのステッパーに代わるKrFエキシマレーザー・スキャナー方式が確立した。
1990年代後半、化学増幅型フォトレジストが実現し、KrFエキシマレーザーによるリソグラフィ技術が立ち上がった。化学増幅型フォトレジストは、その後もArFやEUVリソグラフィにも不可欠となった。
1990年代、CMP装置と関連材料のサプライチェーンが整い、STI(シャロートレンチアイソレーション)やCuダマシン配線が標準技術として普及した。
1990年代、ウェーハを密閉型の格納ポッド内に封じこめて工程間搬送し、ロードポートを通じて製造装置へ出し入れするSMIF方式が採用され始めた。この方式は2000年代以降の300oウェーハプロセスでの標準になった。
1990年代後半、300oウェーハプロセスへの移行に向け、製造装置・材料の国際的な標準化活動が進められた。これにより、デバイスメーカーの装置・材料調達の自由度増大、装置・材料サプライヤの開発・製造コストの低減に大きな効果をもたらした。
1998年、半導体技術の国際ロードマップ(ITRS)が発行された。半導体製造装置・材料産業にとっても貴重な指針となった。
SiP用の実装基板配線の絶縁層になるビルドアップ材料に、味の素ファインテックのABFが世界標準になった。
半導体業界が指向する製造装置のプラットフォーム化の下で、1998年から奇数年ごとに発行されるITRSに基づきながらスケーリングに対応する製造装置・材料の開発がすすめられた。
2001年に300oウェーハによるULSI生産がスタートした。以後90nm以下の微細化は300ンウェーハプロセスにより進められるようになった。従来のウェーハ大口径化への移行と異なり、パワー半導体、MEMS、センサや110nm以上のVLSIは8インチ(200mm)ウェーハで生産され、300oと8インチの両サイズのウェーハプロセスが並行して成長するようになった。
2001年、東京エレクトロンから少量多品種のSoC生産のリードタイム短縮、微細化のためのサーマル・バジェッド低減が図れる高速昇降温縦型炉が発表された。
2003年にASMLから液浸露光装置が発表され、その後この方式が微細露光の主流となった。
2006年、特定有害物質の使用を規制するRoHS指令が施行された。半導体関連各社は積極的に本指令に準拠する対応を進めた。