拡がりゆく半導体応用分野

IoT/ネットワーク

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1960年代後半 ICタグEAS(Electronic Article Surveillance)

1960年代後半、米国にSensormatic Electronics CorporationとCheckPoint System, Inc.という会社が設立された。SensormaticはMagneticタグをCheckpointはRFID(Radio Frequency IDentification)を開発した。これらは小売店での万引きや盗難防止のシステムとして利用された。
EASは、商品にICタグを付与し、ICタグが取り除かれない状態で持ち出されると警報などが発せられる。この装置はRFID技術の初の商業利用と位置づけられ、その後さらに発展した形で世の中に広く浸透している。この年代はRFID技術の研究が多くなされた年代であった。
1969年 ARPANETによる通信網構築(SRI, UCLA)

アーパネット(ARPANET: Advanced Research Projects Agency NETwork、高等研究計画局ネットワーク)は、世界で初めて運用されたパケット通信コンピュータネットワークであり、インターネットの起源でもある。アメリカ国防総省の高等研究計画局(略称ARPA、後にDARPA)が資金を提供し、いくつかの大学と研究機関でプロジェクトが行われた。ARPANETのパケット交換はイギリスの科学者ドナルド・デービス(Donald Watts Davies)とリンカーン研究所のローレンス・ロバーツ(Lawrence G. Roberts)の設計に基づいていた。
1969年ARPANETの最初の4つのノードが、カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA: University of California, Los Angeles)、カリフォルニア大学サンタバーバラ校(UCSB: University of California, Santa Barbara)、ユタ大学(The University of Utah)、スタンフォード研究所(SRI: Stanford Research Institute、1975年SRI Internationalと改称)間で結ばれ稼働した。これらのノードは、Interface Message Processor(IMP)と呼ばれる特別なハードウェアを使用して相互接続された。ARPANETは、その後、より多くのノードが追加されるなどの拡張が行われ、インターネットの基礎となった。
1969年 電子の目CCDの発明(Boyle et.al)

1969年にベル研のW.S. Boyle とG.E. Smith はCCD(Charge Coupled Devices: 電荷結合素子)を発明した。CCDは、平行に配置した複数のゲート電極を持つMOS構造で、ゲート電極下の空乏層(電位の井戸)に注入された電荷を、隣り合った電位の井戸の深さをゲート電圧で順次変えることで、バケツリレー式に所定方向に転送するデバイスである。単純な構造で高効率の電荷転送ができ、アナログ信号処理、メモリ、イメージセンサーなどたくさんの応用デバイスが研究、開発されたが、実用になったのはイメージセンサーのみだった。CCDイメージセンサーは、CCDに光を照射することによって発生する電荷を電位の井戸に蓄え、その電荷をCCDの原理で転送するシンプルな構成で実現でき、イメージセンサーの世界に大きな変革をもたらした。
1978年にソニーが11万画素CCDイメージセンサーを使用するビデオカメラを商品化し、ビジコン、サチコンなどの撮像管(電子管)を固体撮像素子に置き換えた。手のひらサイズのVTR内蔵CCDビデオカメラなどが商品化され、手軽なビデオ撮像を可能にした。1979年の松下の白黒カメラの発売以降、スチールカメラも、化学現像処理が必要な銀塩フィルムがCCDイメージセンサーに置き換わり、録画、再生が即時にできる便利なものになった。2004年頃になると、CMOS技術の進歩により、CCDイメージセンサーは、動作速度が速く低消費電力、定価格のCMOSイメージセンサーにその立場を譲るようになる。CMOSイメージセンサーはその後も発展を続け、2000年には携帯電話に、2011年にはパソコンに搭載され、画像の撮像、転送、配信が手軽にできるようになった。さらに、写真、ビデオの撮影に限らす、オートモーティブ、セキュリティ、モバイル、インダストリーの広い範囲で、必要不可欠の画像センシングデバイスになった。
一方、CCDイメージセンサーは、低ノイズで微弱光の検出に適しており、分光測光、科学計測、外観検査などの分野で活用されている。2024年完成のヴェラ・C・ルービン天文台(チリ)の撮像装置は、1600万画素CCDイメージセンサー189個で構成される。
[半導体歴史館 関連資料]
(個別半導体他)1975~1985年:イメージセンサ用フォトダイオードの改良(ソニー、日立、NEC、東芝)
(個別半導体他)1978年:11万画素CCD撮像素子商品化(ソニー)
(個別半導体他)1990年:世界初HDTV向け1インチ200万画素CCD撮像素子開発(ソニー、東芝、松下)
1976年 イーサネット(Ethernet)の登場

1972年、米ゼロックス(Xerox)社の研究所であるPARC(Palo Alto Research Center)のロバート・メトカーフ(Robert Metcalfe)は、ハワイ大学のAlohaシステムのアイデアをもとにして、「Alto Aloha Network」を考案した。これは、PARCで開発中のコンピュータ「Alto」のためのネットワークシステムで、複数のAltoやレーザープリンタなどを1本のケーブルで接続するものであった。このシステムをAlto以外のコンピュータにも対応できるように発展させたものを、1973年に「イーサネット(Ethernet)」と命名し、1976年のNCC(National Computer Conference)で発表した。この最初のイーサネットは「Experimental Ethernet」と呼ばれ、データ転送にAltoのシステム・クロックを利用していたため、転送速度は2.94Mビット/秒であり、同軸ケーブルが使われていた。1980年DEC(Digital Equipment Corporation)が10Mビット/秒の10BASE-Tと呼ばれる新バージョンを導入した。伝送線はツイステッド・ペアケーブルで設置も容易になった。Ethernetは最も広く普及したLAN(Local Area Network)技術である。
1976年 IP対応ルーター(BBN)

1976年に、米BBN社(Bolt Beranek and Newman)の手によってARPANETに接続するIP対応ルーターが、世界で初めて製品化された。このルーターは、米DEC社の16ビット・ミニコン「PDP-11」上においてアセンブリ言語で書いた20Kバイトのルータープログラムを走らせるものであり、処理速度は100パケット/秒程度であった。1982年には、ARPANETの内部や米国・欧州を合わせて20以上のルーターと数百のホスト・コンピュータが1つに接続され、これが今のインターネットの原型となった。1986年には米プロテオン社より、マルチプロトコルに対応した世界初の商用ルーター「ProNET p4200」が発売された。1990年には米シスコシステムズ社が「Cisco7000」を、1997年にインターフェースカード(ラインカード)に分散アーキテクチャを導入した「Cisco12000」を発売し、10Mパケット/秒クラスの性能に至った(注:1パケットが1,500バイト(12,000ビット)で換算すると、120Gビット/秒に相当)。1987年には世界初のISP(インターネット・サービス・プロバイダ)UUNET(Unix to Unix Network)が誕生し、一般固定電話が定額制だったことから、コアルーターをDCE(データ回線終端装置)、アナログモデムをDTE(データ端末装置)としたハブ&スポーク型トポロジによるネットワークが定着するようになった。
1978年 GPS衛星打ち上げ

GPSとは、グローバル・ポジショニング・システム(Global Positioning System)、正式名称は「ナブスター(NAVSTAR: Navigation Satellites with Time And Ranging)衛星」である。1973年Pentagonにより軍事目的で提案された。このシステムの最初の衛星ナブスター1は、1978年2月22日に打上げられた。GPSは、地球上空を回っているGPS衛星からの信号を受信機で受け取って現在位置を把握するシステムで、ナブスター1から数回の打ち上げ成功失敗を重ね必要な数の衛星を周回軌道に配置できた。1993年12月8日、米国のGPSの運用が開始された。GPSシステムでは、中程度の地球軌道上を周回する24〜32の複数の衛星を使用している。各衛星は精度の高い原子時計を搭載し、正確な時刻と軌道のデータを送信、地上では複数の衛星からのデータを受信することで、衛星の信号の到達時間を元にして自分の位置と正確な時刻を計算できる。初期には軍事上の理由から、民間GPS向けのデータには誤差データを加える操作(SA: Selective Availability)を加えて精度100m程度に制限していたが、2000年5月2日、GPS技術を広く社会に役立てるとの主旨でSAは解除された。その結果、測位精度が一桁向上、GPS衛星航法だけでも実用的な利用が可能になった。
GPS測位の計算のために初期は複数の半導体チップが必要とされたが、その後ワンチップ化、さらにはオンチップのコアとして提供されるようになってコスト低減が進んだ。測位精度の向上と半導体技術の進展の結果として、車載ナビゲーションシステムだけでなく、携帯端末やスマートフォンにも搭載され、幅広く利用されるようになった。2000年代以降、GPSと類似のシステムとして、ロシアのGLONASS(Global Navigation Satellite System)、欧州のガリレオ(Galileo)、中国の北斗(COMPASS)など、各国で測位衛星の整備が進められた。日本では、2010年9月11日、独自の測位衛星となる準天頂衛星(QZSS: Quasi-Zenith Satellite System)の初号機「みちびき」が打ち上げられ、2018年11月以降は4基体制で運用されるようになった。
1983年 ARMアーキテクチャの出現

IoTの世界で広く普及したプロセッサがARMアーキテクチャである。ARMアーキテクチャ とは、ARM Ltdにより設計・ライセンスされているRISC(Reduced Instruction Set Computer)型プロセッサであり、ARMコアは世界中の半導体メーカーによりライセンス生産されている。ワークステーション、携帯電話、ルーターから家庭用ゲーム機に至るまであらゆる分野で使われている。ARM社ではチップは製造せず、設計情報のライセンスを得た半導体メーカーが自社チップに組み込んで製造するビジネスモデルがARMアーキテクチャ―普及に繋がった。
ARMの設計は、1983年にエイコーン・コンピュータ(イギリス)によって開始され、1985年までにARM1と呼ばれる開発サンプルを、最初の製品となるARM2を次の年に完成した。ARM2は32ビットのデータバス、26ビットのアドレス空間と16個の32ビットレジスタを備えていた。ARM2のトランジスタ数は30000個しかなく、シンプルな実用32ビットマイクロ・プロセッサであった。AppleはARM6ベースのARM610をApple Newtonに採用し、ARM6の改良版であるARM7も、携帯電話にも広く採用されたことから、今日のARMの礎ともなった。2005年には製品ラインナップを一新し、高機能携帯電話などのアプリケーション・プロセッサ向けであるCortex-A、リアルタイム制御向けであるCortex-R、組み込みシステム向けであるCortex-Mのシリーズに分類された。
[半導体歴史館 関連資料]
(集積回路)1992年:独自アーキテクチャの32ビットRISC型マイコン(日立)
1984年 TRONプロジェクト発足

TRON(The Real-time Operating system Nucleus)プロジェクトは1984年6月に発足した産学共同のリアルタイムOSを核としたコンピュータシステムの開発プロジェクトである。坂村健(当時東京大学大学院教授)をプロジェクトリーダーとし、組込みシステム向けのリアルタイムOSからIoTネットワークまで、様々な開発が進められた。その成果は、自動車のエンジン制御、デジタルカメラや携帯電話などの情報家電といった民生分野の製品から、工場内の機械制御といった産業分野まで、リアルタイムOSとして幅広く利用されるようになった。
オープンアーキテクチャを前面に掲げてプロジェクトを推進しており、様々な機器に組み込まれ、IoTネットワーキング環境を実現している。TRONプロジェクトの成果物であるT-Kernel、μT-KernelなどのリアルタイムOSのソースコードは完全に公開されており、複製や改変、製品への利用も自由に行うことができる。TRONプロジェクトでは仕様やソースコードをオープンにするだけでなく、ITUやISOなどの国際標準化団体に積極的に標準仕様を提案した。米国の標準化団体、IEEEが2018年に定めた小規模組込みシステム向けリアルタイムOSの国際標準規格、IEEE 2050-2018では、トロンフォーラムが開発したリアルタイムOS、μT-Kernel 2.0の仕様がベースとして採用され、最新のμT-Kernel 3.0はIEEE 2050-2018に完全に準拠した国際標準のリアルタイムOSとなった。
[半導体歴史館 関連資料]
(集積回路)1988年:TRON仕様準拠のCISC型32ビットマイコンの開発(日立、富士通、三菱電機ほか)
1984年 JUNETがスタート

1984年、研究用のネットワークJUNET(Japan University NETwork)がスタートした。最初に慶應義塾大学と東京工業大学を結んだのを皮切りに、その後東京大学が加わって実験用のネットワークとしての運用が開始された。1980年代半ばにRISCマイコンの開発が相次ぎ、RISCマイコンを核にしてローカルエリアネットワーク(LAN)機能を搭載したUNIXワークステーションが登場した。パソコン/ワークステーションによるコンピュータのダウンサイジングのうねりのもと、それまでの点と点の接続から多数のコンピュータが多点接続されるネットワークの時代になった。JUNETはUNIXコンピュータ間でのデータ転送機能であるUUCP(UNIX to UNIX Copy Protocol)をベースとし、遠隔地のUNIXコンピュータ間の接続が可能になった。LAN接続網を広域ネットワークに拡げる活動として認知され、国内数百の拠点を接続する広域ネットワーク網に発展した。米国のARPANETをインターネットの起源とするなら、JUNETは日本におけるインターネット網確立の起源である。1990年代に入って商用インターネットサービスが開始されるようになり、研究用ネットワークとしてのJUNETは役割を終えて1994年に終了、ドメイン名登録管理の役割はJNIC(Japan Network Information Center, 後のJPNIC)に移管された。
1986年 Point to Pointの超小型マイクロ波通信システム

1983年、日本で50GHz帯の周波数利用が簡易電波無線局として制度化された際に、主に企業内のビル間通信システムとして計画された。NECはそれまでに1953年東北電力に無人化マイクロ波中継システムを納入、海外向けには、1956年にインド向けマイクロ波通信システムの納入を皮切りに、世界各国の海外プロジェクトを成功させている。1963年に世界初の全固体素子によるマイクロ波通信システムの実用化に成功し、1979年にはアメリカのベル系列電話会社にデジタルマイクロ波通信システムを納入の実績などの背景がある。
1986年パソリンク(PASOLINK)の名称で、イギリスBT(British Telecom)から、超小型マイクロ波通信システムを初受注した。90年代には主に欧州、北米を中心にデジタル専用回線および携帯電話基地局間のバックホール回線用として採用、運用された。携帯電話基地局を結ぶ通信システムの他にも、企業向け専用回線用途でも利用されるようになった。パソリンクは、アンテナ、送受信装置、変復調装置から構成されている。数GHz~数十GHzの周波数帯域を利用して通信を行う。QPSK、16QAM、128QAMなど、複数の変調方式に対応する。光ケーブルのような有線のネットワークと比べて、システム構築が容易・迅速・低コストであるというメリットがある。
半導体デバイスとしては1980年に富士通研究所で開発された超高周波素子HEMT(High Electron Mobility Transistor)の出現が超小型化と普及を推進したと言える。
[半導体歴史館 関連資料]
(個別半導体他)1979年:HEMT(高移動度トランジスタ)の発明(富士通)
1986年 オランダが農業危機によりスマート農業への転換

オランダは狭い国土でIoTを活用したスマート農業により農業危機から転換出来た。従来の農業からスマート農業に転換するきっかけは、1970年代後半から1980年代初頭にかけて国内の農業生産が減少したことに始まり、1986年、EU(欧州連合)の前身であるEC(欧州共同体)にポルトガルとスペインが加盟したことで安価な農作物が輸入され国内農業が苦戦を強いられたことに端を発している。自国農産物の危機を感じたオランダは、国際競争力の高い農産物を生産しようと国家を上げて国内農業の転換を図った。効率よく、付加価値の高い作物を育てる農業を突き詰めた結果、辿り着いたのがスマート農業だった。オランダでは、大多数の一般農家で、自動制御システムを搭載したコンピュータにより農作物に与える肥料や給水などの制御が行われている。同国北部には、温度や湿度、二酸化炭素濃度などをセンサーによって管理する「アグリポートA7」と呼ばれる巨大なビニールハウスがある。このハウスでは、センサーで吸い上げられたデータが別の場所にあるオフィスへと送られ、24時間体制で作物にとって適切な環境を保っている。徹底した環境保持が行われており、天候に関わりなく通年で作物を育てることができる。国を上げての農業改革プロジェクトが実を結び、オランダは今日のスマート農業大国へと変貌を遂げたのである。
1989年 商用インターネットの開始(米)

ARPANETは1983年TCP/IPプロトコルを採用、異なるコンピュータ間でデータ交換が可能となり、同時にNSF(National Science Foundation)NETと呼ぶ新しいネットワークが設立され、大学や研究機関等非軍事的な組織が参加できるようになった。その頃未だ商用インターネットサービスプロバイダ(ISP)と認識される企業はなかった。
最初のISPは1989年テキサス州のThe World という企業であった。しかし、最初は大学や研究機関などの教育機関向けサービスであった。その後1990年代に入るとインターネットの商業化が進み、多くのISPが登場した。大規模商用ISPのパイオニアとして認識されたのは、1995年にAT&TがNetcom Online Communication Servicesを買収しサービスを開始したのが最初だった。同年、AOL(America Online)も参入、最初はダイヤルアップ接続が提供された。このように1990年代には多くのISPが米国で事業を展開しており、World Wide Web やMOSAICなどのブラウザの登場もあって、インターネット利用者数の急速な拡大につながった。
1990年 自動車通行料金課金システム、ノルウェー・オスロで運用開始

ノルウェーでは、1986年ベルゲンでトールリング方式による道路課金が始まった。トールリングは、街の中心から半径数キロメートルの円周に沿って料金所を設けるものである。ベルゲンの方式は自動料金収受ではなく、事前支払いのチケットをフロントガラスに付け、それをビデオ撮影するものであった。
1990年オスロで、同様のトールリングによる道路課金が始まったが、ここでは本格的な大規模自動電子料金徴収システムを備えていた。利用者はあらかじめ電子タグを購入(保証金)し、車両内フロントガラス付近に設置した。このタグはアンテナとIDナンバーを記憶させたチップのみで構成され、無電源で長期間利用可能である。料金所では、アンテナが常時856MHzの電波を発信しており、車両が料金所に進入する際にタグがIDナンバーを返信する。タグが有効なら青、回数期限少ないと黄、無効なら赤のランプが運転者に表示される。通過車両情報は中央計算機にも送信され、交通サービスに利用されるものであった。
1991年 ユビキタス・コンピューティング

ユビキタス・コンピューティング(Ubiquitous Computing)は、ゼロックス社パロアルト研究所、PARCのマーク・ワイザー(Mark Weiser)により提唱された。1991年のサイエンティフィック・アメリカン誌の記事、"The Computer for the 21st Century"で、コンピュータが「環境にすっかり溶け込み消えてしまう」というあり方を示す用語として使われ、IoTの現代的なビジョンが記されていた。また「あらゆる場所であらゆるモノがネットワークにつながる」ことはユビキタス・ネットワークと呼ばれるようになった。当初から、移動体通信や無線などにより携帯電話や携帯情報端末(PDA: Personal Digital Assistant)などの持ち運び可能な機器をコンピュータネットワークと接続することが想定されており、その後のモバイルコンピューティングの時代になってユビキタス・コンピューティングが実現されたと言える。
1991年 Windows 3.1発売

Microsoft Windows 3.xは、MS-DOSを拡張する16ビットオペレーティング環境(Operating Environment)であり、主なバージョンとして1990年に発売されたWindows 3.0と、1991年に発売された改良版Windows 3.1があった。その他、マルチメディアに対応したWindows 3.0 with Multimedia Extensions Windows MMEを一部機種で展開するなど、幾度かのマイナーバージョンアップが行われた。英語版ではネットワークをサポートするWindows for Workgroup(Windows3.1ベース)も発売された。また追加モジュールとして32ビットアプリケーションを動作させるためのWin32s、画像表示を高速化するためのWinG、AVI形式の動画を再生するためのVideo for Windows、LANに接続するためのLAN Manager、インターネットやメールをするためのInternet Explorer(16ビット版)があった。Windows 3.1のマルチメディア機能は個人市場の開拓を促し、ExcelやOfficeは企業にWindowsの導入を促した。
日本でパソコンが広く一般に普及し始めたのはWindows 95からとされている。しかしWindows 3.1の広がりは、日本メーカーの国内向けパソコンを独自開発から世界標準のPC/AT互換機に転換させ、「鎖国状態」を解消したことで競争力が上がり、パソコンの低価格化が進んだことで普及を後押しすることになった。
1993年 CERNがWWWを無償公開

WWW(World Wide Web)は欧州原子核研究機構(CERN: Conseil Européen pour la Recherche Nucléaire)のジョン・バーナーズ・リー(Timothy "Tim" John Berners-Lee)が1990年12月、CERN内の情報にアクセスするためのグローバルハイパーテキストプロジェクトの提案書、"World Wide Web: Proposal for a Hyper Text Project"を提出し、ロバート・カイリュ(Robert Cailliau)と共同で実装、完成させたものであり、後にWWWに発展することになる。URL(Universal Resource Locater)、HTTP(Hyper Text Transfer Protocol)、HTML(Hyper Text Markup Language)の最初の設計は彼らによるものである。
1993年4月30日にCERNはWWWを全ての人に無償で利用可能にすることを発表した。2013年4月30日、欧州原子核研究機構(CERN)がWorld Wide Web(WWW)の使用料無料での公開宣言20周年を記念して、最初のウェブサイトを再現し、ウェブの誕生にかかわるデジタル資産を保全するプロジェクトを開始した。
1993年 NCSA Mosaicのリリース

欧州原子核研究機構(CERN)が World Wide Web(WWW)の利用を開放した年である1993年に、イリノイ大学の米国立スーパーコンピュータ応用研究所(NCSA: National Center for Supercomputing Applications)に所属するマーク・アンドリーセン(Marc Lowell Andreessen)らが、革新的な Webブラウザである NCSA Mosaic を開発・リリースした。NCSA Mosaic は、テキストと画像を同一のウインドウ内に混在して表示させることができる最初のウェブブラウザであった。それ以前のウェブブラウザにおいては、テキストと画像は別ウインドウに表示されていた。なお通信プロトコルとしてはHTTP(Hyper Text Transfer Protocol)以外にFTP(File Transfer Protocol)、NNTP(Network News Transfer Protocol)にも対応している。開発に携わったマーク・アンドリーセンらは、シリコングラフィックス社(SGI: Silicon Graphics International Corp.)の創立者ジム・クラーク(James H. Clark)とともにモザイク・コミュニケーションズ社(後のネットスケープコミュニケーションズ社)を立ち上げ、Netscape Navigatorを開発した。その後、NCSA は Mosaic のマスターライセンスをスパイグラス社に与え、さらにスパイグラス社からライセンスを受けたマイクロソフト社は、Mosaic のコードを元に Internet Explorer を開発した。
1990年代後半 自動車向けテレマティクスサービスの開始

1990年代後半、自動車メーカー各社がテレマティクスサービスを開始した。テレマティクスは、自動車と情報技術を組み合わせることで、遠隔で情報を収集・送信し、ドライバーに様々なサービスを提供するシステムである。米国General Motors(GM)は1996年に「OnStar」サービスを開始、車両内に搭載された通信システムを介して、ドライバーとGMのコマンドセンターを接続することで、緊急時のサポートや盗難対策、ナビゲーションなどの機能を提供した。日本では、トヨタが1998年に携帯電話網を介した情報サービス「MONET」を開始、2002年からは専用の通信モジュールを内蔵した車載機を用いる「G-BOOK」で、コマンドセンターと接続して道路情報やナビゲーション、緊急時のサポートなどの情報提供を開始した。ホンダは1998年に「インターナビ」のサービスを開始し、ナビゲーション、交通情報、音楽などの機能を提供した。日産は1998年に「CARWINGS」のサービスを開始し、ナビゲーション、盗難対策、車両の状態監視などを提供した。他にも、BMW の「BMW Assist」、の「Ford SYNC」、メルセデス・ベンツの「mbrace」など、各社のサービスが続いている。
米欧の初期のサービスが、緊急通報や盗難対策などに主眼を置いていたのに対し、日本では画面に地図を表示するナビゲーションシステムが普及し始めており、ナビゲーションシステムと連携した付加サービスの位置付けで提供された。この頃はまだ通信料金が高額なこともあって、高級車向けを指向したサービスが多く、有人オペレーターによるサービス提供を組み合わせているものもあった。テレマティクスサービスは自動車に対する通信サービスの先駆けとなり、その後、2010年代以降にはコネクテッドカーのサービスとして大きく発展した。
1998年 ブルートゥースSIG設立(エリクソン・インテル・IBM・ノキア・東芝)

ブルートゥース(Bluetooth)はデジタル機器用の近距離無線通信規格の1つであり、BR/EDR(Bluetooth Basic Rate/Enhanced Data Rate)と LE(Low Energy)で構成される。1998年5月20日 - エリクソン、インテル、IBM、ノキア、東芝の5社でBluetooth SIGを設立、同時に Bluetooth という名称を発表した。2000年代以降Bluetoothは広く普及したが、そこには1999年に設立された英国CSR(Cambridge Silicon Radio)社が開発したワンチップCMOSデバイスが大きく寄与していた。IEEEでの規格名は、IEEE 802.15.1である。
1999年 IoT(Internet of Things)の用語誕生

Internet of Thingsという用語は1999年にケビン・アシュトン(Kevin Ashton)が初めて使ったとされる。Procter&Gamble社へのプレゼンテーションで使ったフレーズである。ケビン・アシュトンは、イギリスの技術者で、RFIDやその他のセンサーの国際標準を確立したマサチューセッツ工科大学(MIT)のAuto-IDラボの共同設立者である。ユビキタスセンサを通してインターネットが物理世界を繋ぐシステムをInternet of Things(モノのインターネット)と名付けた。一方、Cisco社が2011年のホワイトペーパーで発表した論文で注目されたとも言える。その論文はCisco IBSG(Internet Business Solutions Group)の Dave Evans氏の「The Internet of Things: How the Next Evolution of the Internet Is Changing Everything」である。CISCO社は他にもいくつかのIoTに関するホワイトペーパーを発行している。
1999年 オートIDセンター設立(米国標準化団体)

Auto-IDは、1999年10月にMIT 内にRFIDのサプライチェーン管理(SCM: Supply Chain Management)への適用に向けた研究と標準化を目的に設立された“Auto-ID センター”を中心に活動が行われており、主として米国及び欧州の流通系の大企業を中心としたスポンサー企業が参画している。2002年にMITのAuto-IDセンターの解消とともに、RFIDネットワークと新しいセンシング技術のフィールド研究グループとして、Auto-ID Labsネットワークが設置された。研究室は、異なる4大陸にある7つの研究大学から成り、日本の研究拠点であるAuto-IDラボ・ジャパンは、慶應義塾大学に設置された。Auto-ID Labsの主な研究分野は、RFID技術とEPC(Electronic Product Code)やセンサーネットワーク、バーコード、無線通信、クラウドコンピューティングなどの分野である。その研究成果は、物流管理、製造業、小売業、医療、農業など、さまざまな産業において、製品の在庫管理や追跡、流通過程の効率化、生産プロセスの最適化などに活用されている。
2001年 機械遠隔管理システム(KOMTRAX コマツ)

建設機械大手のコマツの建設機械には、車両の状態や稼働状況をチェックするセンサーやGPS装置が取り付けられ、各車両のデータを通信衛星回線や携帯電話回線を通じて コマツのサーバーに自動的に送信し、集積している。コマツ機械稼働管理システム、コムトラックス(KOMTRAX: Komatsu Machine Tracking System)が稼働開始したのは2001年であった。このシステムでは、建設機械という「モノ」をインターネットに接続し、情報交換や制御を行っている。収集しているのは車両の位置、オーバーヒートやエンジンオイルの油圧低下といった各種警報の有無、稼働状況、燃料の状況などである。GE(General Electric Company)ではPredixと呼ぶIoTプラットフォームで機械装置の遠隔監視によるメンテナンス事業を実現し、モノづくりからサービス事業への転換で新しいビジネスを創出している。
2003年 ユビキタスIDセンター設立(日本標準化団体)

RFIDを利用したサービスやICタグのコード体系に関する標準化は、米国を中心とするEPCglobalや日本を中心とするユビキタスIDセンターで進められている。EPCglobalは、バーコードに代わるデータキャリアとしてRFIDとインターネットを利用したEPCglobalネットワークシステムの開発・推進を行うために2003年11月に設立された非営利法人である。積極的に、ISO/IECへの提案を行っており、UHF帯規格である「EPCglobal C1G2」は、ISO/IEC 18000-6 TypeCとして標準化された。一方、ユビキタスIDセンターは「モノ」や「場所」を自動認識するための基盤技術の確立と普及を目指して「ucode」というIDコード体系の標準化を行っている。ユビキタスIDセンターはT-Engineフォーラム内に設置されており、「ユビキタス・ネットワーク・インフラ部会」「ucodeタグ技術WG」「U-TAD WG」などに分かれて活動している。
2006年 Amazon Web Services(AWS)公開

AWS(Amazon Web Services)は2006年7月に公開され、他のウェブサイトやクライアントサイドアプリケーションに対しオンラインサービスを提供している。これらのサービスの多くはエンドユーザに直接公開されているものではなく、他の開発者が使用可能な機能を提供するものである。Amazon Web Servicesの各種サービスはHTTP(Hyper Text Transfer Protocol)を通じ、REST( REpresentational State Transfer)およびSOAP(Simple Object Access Protocol)プロトコルを使用してアクセスされる。AWS が提供する、コンピューティング、ストレージ、データベース、ネットワーク、セキュリティ、ハイブリッドクラウド、モバイル、分析/解析(Analytics)、機械学習/人工知能(ML/AI)、といった様々なサービスを組合せることで、ビッグデータの時代のIoT構築に役立っている。
2007年 Cyber Physical System提唱

CPS(Cyber-Physical System)は,米国国立科学財団(NSF: National Science Foundation)の Helen Gill 博士がサイバネティックスからヒントを得て考案した概念である。DARPAのSEC(Software Enabled Control)プログラム(1999~2004年)の支援を受けた同博士のもと,無人航空機の実現に必要な基礎研究の推進を目的として開始された。そして、NSFによるワークショップを経て、リアルタイムシステム、組込みシステム、センサーネットワークなどの研究コミュニティーで議論され、分野横断型の複合研究領域として具体化され、2007年の米大統領科学技術諮問委員会(PCAST)の報告で情報通信技術(ICT)研究開発における最優先項目として取り上げるべきとの提言がなされた。CPSの基本要素は、実世界に対するセンシング(データ)とコンピューティング(計算、意味理解)、それに基づくアクチュエーション(制御、フィードバック)であり、実世界(人、モノ、環境)とICTが密に結合・協働する相互連関の仕組みとしてCPSを定義することができる。多くの分野にまたがる複合研究領域であり、幅広い応用分野に適用できる概念である。
2008年 Windows Azureサービス開始

2008年米マイクロソフトは、プロフェッショナル開発者会議(PDC2008: Professional Developers Conference 2008)において、クラウドサービスである「Windows Azure」を発表した。Windows Azureはマイクロソフト版のAWS対抗のサービスであり、ホスティングサービスであるWindows Azureでは、従来、ユーザーがWindows Server 2003/2008などの上で構築していたASP.NET(マイクロソフトが開発・提供しているWebアプリケーションフレームワーク)によるWebアプリケーションやインターネット経由でのサービスなどを、マイクロソフトが提供する施設の中で実行するものである。
2014年「Windows Azure」の名称を「Microsoft Azure」に変更すると発表。Windows Azureはその名称が示すように、Windowsとの高い互換性を利点としてきた。しかしクラウドの世界ではWindowsだけでなくLinux OSやそのうえで動くさまざまなオープンソースソフトウェアの重要性も高まってきており、マイクロソフトもそれ以来、Microsoft AzureのうえでLinuxやオープンソースソフトウェアへの対応を積極的に展開している。
2010年代 コネクテッドカーの普及拡大

コネクテッドカー(Connected Car)は、インターネットやモバイル通信技術を活用して双方向で接続、データの収集・送信、通信、サービスの提供を行うことができる車両である。ドライバーや乗客に、より多くの利便性、安全性、エンターテイメントの機会を提供することができる。車両内に搭載されたセンサーやコンピュータを通じて、車両の位置情報、車速、エンジンのパフォーマンス、燃料消費量、などのデータがリアルタイムで送信され、自動車メーカー等のクラウドシステムによって分析されて、車両のトラブル予知やメンテナンスの最適化、運転スキルの改善などに有効なデータが得られる。ナビゲーションシステムは常に最新の地図データを得ることができ、リアルタイムの交通情報や道路状況を取得して、渋滞や工事区間などを回避する最適のルートを示すこともできる。また、インターネットを介した豊富な音楽や映像情報の提供やオンデマンドのコンテンツ、ソーシャルメディアのアプリなどを利用することもできる。GPSやモバイル通信技術を利用して、車両の位置を追跡でき、リモートでドアロックやエンジンの停止などの操作をすることで、盗難時や事故時の対応などが可能となる。車両の位置情報の把握は渋滞予測にも有効であり、位置情報を発信する自動車はプローブカーやフローティングカーとも呼ばれている。
歴史的には、自動車と通信の接続は1990年代のテレマティクスサービスが先駆けである。その後のモバイル通信網の発展と通信料金の低下により、常時接続が可能になり豊富なサービスが提供されるようになった。また、スマートフォンと車載機器の連携や、音声インターフェースやAI技術との組み合わせで、より洗練されて使いやすいサービスとなった。
コネクテッドカーとの関連でV2X(Vehicle to everything)という言葉がある。車車間通信のV2V(Vehicle to Vehicle)、車両と道路や信号等のインフラとの通信としてV2I(Vehicle to Infrastructure)、車両と歩行者の通信としてV2P(Vehicle to Pedestrian)など、車両とあらゆるものとの接続を意味している。コネクテッドカーを支える技術として、重要な概念である。また、無線通信を経由してソフトウェアやコンテンツを更新する技術は、OTA(Over-The-Air)と呼ばれている。少ない手間とコストでソフトウェアやコンテンツを容易に更新することができる。
自動車業界の変革を端的に表現するものとして、CASEという言葉が使われている。Connected(コネクテッド)、Autonomous(自動運転)、Shared(シェアリング)、Electric/Electrified(電動化)の四つを組み合わせたものである。コネクテッドは、その一つを代表する重要な概念であると同時に、自動運転を支える基本的な技術であり、無人でのシェアリングを容易に実現するためにも必須となる。電動化(電気自動車)は、電力網と繋がるスマートグリッドの技術で電力エネルギーの平準化に寄与し、再生可能エネルギーの利用効率が向上する。CASEの普及によって、交通事故の減少、交通渋滞の緩和、環境問題の低減、などの効果が期待できる。
2011年 独 Industry 4.0 イニシアティブ開始、第4次産業革命

2011年、「インダストリー4.0」という用語が、ドイツ工学アカデミーと連邦教育科学省により発表された。サイバーフィジカルシステムを導入した「スマートファクトリーの実現」がインダストリー4.0の根幹である。IoT技術の導入によって、機器の稼働情報や設置場所の温度、湿度といった情報などをビッグデータとして集め、パフォーマンスの低下などをAIによって検出し、修理を行うことで、以前のように平均故障間隔などから行っていた保全よりも、より的確に保全が行えるようになる。
インダストリー4.0では、モノとインターネットに加えて、モノとモノがつながり、さらにモノの集合体=業務プロセス同士もつながって情報交換を行う。この複雑な結びつきによって、最適化された生産体制を維持しつつ自律的・自動的に稼働するというのが、インダストリー4.0における新しいモノづくりのかたちである。ドイツでは、積極的にインダストリー4.0の基盤づくりが進められ、そのインパクトは大きく、日本でもインダストリー4.0に似た仕組みを作り上げる試みが始まった。製造業に携わる企業はもちろん、さまざまな業界の企業にとっても、インダストリー4.0は重要な概念を多く含んだ構想だと言える。2015年には産業用IoT(IIoT: Industrial Internet of Things)が台頭、2016年に内閣府から発表された科学技術政策、「ソサエティ5.0(Society5.0)」につながっていった。
2014年 米 Industrial Internet Consortium(IIC)設立

IIC(Industrial Internet Consortium)とは、2014年3月に米国に本社を置くグローバル企業5社(AT&T、シスコ、ゼネラルエレクトリック(GE)、インテル、IBM)によって設立された世界最大級のIoT推進団体である。 IICはグローバル、非営利かつオープンなメンバーシップの組織で、インダストリアル(産業)分野でのIoTの実現を加速することを目標とした。その後は200以上の団体が名を連ねるようになり、ファウンディング&コントリビューティングメンバー(Founding & Contributing Members)は米GE、IBMのほか、米DELL EMC、独ボッシュ、独SAP、中国ファーウェイとなるなど、米国の水平パーツベンダー(業種横断でパーツ販売を行うベンダー)に代わり、欧州企業や中国企業なども名を連ねるようになった。ステアリング・コミッティメンバー(Steering Committee Members)には、スイスのABB、日本の富士通、米国政府の研究開発センターFFRDC( Federally Funded Research and Development Centers)などを管理する非営利団体であるMITRE Corporation、同じく研究技術サービスを提供する非営利団体であるRTI(Research Triangle Institute )Internationalが含まれる。日本からは18団体が参加し、参加メンバーの中にはワーキンググループで中核的な役割を果たしている企業も見られた。日本では2015年10月企業・業種の枠を超えて産学官で利活用を促進する目的で「IoT推進コンソーシアム」が設立された。
2014年 Intel IoT Platformの発表はじめ各社のIoT半導体開発の取り組み

従来のパソコン、サーバー、周辺機器に加えて、インターネットに様々な"モノ"が接続される技術の流れ、Internet of Things(IoT)に関し、2014年のConsumer Electronics Show(CES)にて、IntelのCEO、Brian Krzanich氏が基調講演にて、Internet of Things向け半導体について披露した。同時にIntel IoT PlatformのキーコンポーネントとなるIntel IoT GatewayとIntel IoT Developer Kitも発表された。この時期には、クアルコム(Qualcomm)、テキサスインスツルメンツ(Texas Instrument)、NXPセミコンダクタ、STマイクロエレクトロニクス、ルネサスエレクトロニクス等各社もIoT分野向け半導体に力を入れ始めた。
2014年 スマートスピーカー登場、IoTのある暮らしの実現へ

スマートスピーカー(Smart Speaker)は、対話型の音声操作に対応したAIアシスタント機能を持つスピーカーである。内蔵されているマイクで音声を認識し、情報の検索や連携家電の操作を行う。2014年にAmazon.comが「Amazon Echo」を発売したのを皮切りに、Googleは「Google Home」など、自社の音声アシスタントを搭載した独自のスマートスピーカーの発売を発表するなど競争が激化した。日本ではAIスピーカーとも呼ばれ、2017年秋頃から本格的に普及しはじめた。「Alexa」とは、Echoに搭載されている音声認識のバーチャルアシスタントの名称である。Echoデバイスは、音声操作可能なインテリジェント・パーソナル・サービス「Alexa」に接続し、Alexaという名前を言うと応答する。ユーザーはこの起動ワードを、「Alexa」、「Amazon」、「Echo」、「Computer」の中から選択して変更できる。
Google HomeはGoogleが開発したスマートスピーカーであり、2016年11月にアメリカで発売され、約1年後の2017年10月6日に日本でも販売開始された。Google AssistantというAIが搭載されていて、「OK Google」もしくは「ねぇ、Google」が起動ワードである。
2016年 日米独、IoT規格を標準化、産学官の連携の動き

あらゆるものをインターネットの力で繋いでいくというIoT(internet of things)の分野で、日本は世界との協業を目指して、2016年9月、日米が連携する形で国際規格や標準技術の策定に乗り出した。各所で実施される実証実験などに対する規格策定に向け、国内企業2000社超、総務省、経済産業省などで構成された「IoT推進コンソーシアム」と米GEやインテルなどが設立した「インダストリアル・インターネット・コンソーシアム」(IIC)が、同年10月に覚書を交わした。両国は、企業ごとに推進してきた通信、センサーの規格からプラットフォーム作りなどの協議や実証を重ねることを狙いとした。
同時に、日本政府はドイツに対しても同様の取り組みを実施し、日本の経産省と独経済エネルギー省は、IoT 分野の協力推進に合意している。各国が持っている強みを生かす形、例えば、日本は、ハードに強いドイツとソフトに強いアメリカと協業することによって、世界市場での同マーケットを有利に進める目論見とした。
2016年 IoT向け無線LPWAの実用化

IoT/M2Mでは、従来のインターネット通信とは異なり、データサイズが小さいながら、広域通信が行われ、さらにそのデバイスは低消費電力であることが求められる。こうした要件を満たすための無線通信技術をLPWA(Low Power Wide Area)と呼ぶ。
LoRa(「long range」に由来)は、米のSemtech社が中心となり2015年に設立、IBM、シスコ、オレンジなどの大手IT企業や通信事業者がメンバーになっているLoRa Allianceにより策定されたオープンな技術仕様である。「LoRa」はローレベルの物理層の規格の名称であり、上位層まで含めた規格としては「LoRa WAN」がある。Sub-GHz帯(日本では920MHz帯)、Ultra Narrow Band方式の無線技術を使い、通信速度はおよそ250kビット/秒程度、通信距離は最大およそ10キロメートルとなる。
SIGFOXはフランスのSIGFOX社(2009年設立)により開発され、Sub-GHz帯、Ultra Narrow Band方式の無線技術を使い、通信速度はおよそ100ビット/秒、通信距離は最大およそ50キロメートル。エッジ側のデバイスは基地局と920MHz帯(日本国内)で通信する。「1国につき1事業者」が原則で、契約した事業者をSIGFOX Network Operator(SNO)としてその国におけるネットワークの構築運用を行うというビジネスモデルを取る。
NB-IoT(Narrow Band IoT)は既存の通信事業者や大手通信機器ベンダーが進める規格である。ライセンスバンド(無線局免許を必要とする周波数帯)を使うLPWAで、LTE版のLPWAといえる。通信速度およそ100kビット/秒、通信距離は最大およそ20キロメートル。LTEを低速、低消費電力、低価格に向けて拡張したものであり、既存のLTEネットワークと共存できる。2016年に仕様が決定した。その他、免許不要のアンライセンスバンドでは、米Wi-SUNアライアンスによる「Wi-SUN」、英ZiFiSense社の独自規格である「ZETA」、ソニーネットワークコミュニケーションズ社の規格である「ELTRES」などがある。

 

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