拡がりゆく半導体応用分野

ロボット

| 拡がりゆく半導体応用分野トップへ | 索引 | AI | IoT/ネットワーク |   | 日本半導体歴史館トップへ|


1920年 「ロボット(Robot)」という新語の誕生(チャペック)

チェコスロバキアの作家カレル・チャペック(Karel Čapek)は1920年、戯曲R.U.R.(Rossumovi univerzální roboti、ロッサム万能ロボット会社)の中で劇中の人造人間をロボット(Robot)という造語で呼んだ。これによりロボットという言葉が誕生した。その語源はチェコ語のRobota(強制労働、単調で嫌な仕事)がもとになっている。
この戯曲に登場するロボットは外見では人間と変わらず、人間のあらゆる仕事を代行する。このロボットを開発したロッサム商会はさらに感受性を備えるように改良を加え、世界中に輸出してゆく。人間は労働から自由になるが、やがてロボットは団結してすべての人間を殺してしまう。しかしロッサム商会は滅びる前に設計図を燃やしてしまい、ロボットも自らを生産できなくなって滅びてしまう。神が創った人間を、神に代わって人間が人間を創ることに天罰が下るというキリスト教の信条に立った物語であるが、労働に潜む隷属性や生命倫理などの現代的な問題を提起している。
1928年 日本で初めてのロボット「學天則」

「學天則」は東洋でも初めてのからくりロボットで1928年昭和天皇の即位を記念して開催された大礼記念京都博覧会で公開された。その名前には「天(自然)の法則に学ぶ」という意味があり、その顔はあらゆる人種に見えるといわれ、製作者の平和への思いが込められている。この「學天則」というロボットは、表情を変えたり腕を動かしたりとより人間らしい滑らかな動きと表情をしたという。その原動力には、空気の膨圧力(圧縮空気の膨らむ力)が利用されている。「學天則」は各地の展覧会に出展された。
1950年 ロボット三原則の提唱(アシモフ)

アメリカのSF作家アイザック・アシモフ(Isaac Asimov)は1950年、短編集「われはロボット」の中でロボット工学三原則(Three Laws of Robotics)を提唱した。
  • 第一法則:ロボットは人間に危害を加えてはならない.またその危険を看過することによって,人間に危害を及ぼしてはならない。
  • 第二法則:ロボットは人間に与えられた命令に服従しなくてはならない。ただし,与えられた命令が第一法則に反する場合はこの限りではない。
  • 第三法則:ロボットは前掲の第一法則、第二法則に反するおそれのない限り、自己を守らなければならない。
これらは、人間への安全性(第一法則)、命令への服従(第二法則)、自己防衛の目的(第三法則)の3つの原則から成るが、現実のロボット工学のあり方についても影響を与えている。
1952年 鉄腕アトム、月間少年(光文社)に連載開始(手塚治虫)

手塚治虫の作になる鉄腕アトムは1952年から68年にかけ月刊少年(光文社)に連載されて好評を博していた。63年からTV放映されてさらに大きな人気を博し、放映期間における平均視聴率は27%にも達した。アトムの誕生日は2003年4月7日とされている。
最終回では、アトムは危機に瀕した地球を救うために、太陽の活動を抑えるロケットを抱えて太陽に突っ込んで自ら犠牲となり人類を救った。心優しい感情と純粋な良心を持ったアトムは、人を愛し、人のために尽くしたという印象を当時の青少年に与え、これは日本人のロボットに対するあるべき普遍的イメージとして定着した。近年の日本のロボット工学者たちは幼少年時代に鉄腕アトムに出会い、ロボット技術者を志すきっかけになっている者も多いと言われている。鉄腕アトムは日本の高水準のロボット技術力に間接的ながらも大きな影響を与えたといえる。
1962年 世界初の産業用ロボット会社Unimationの設立(エンゲルバーガーとデボル)

「産業用ロボットの父」ともいわれるジョゼフ・エンゲルバーガー(Joseph Frederick Engelberger)は、ロボット技術者のジョージ・デボル(George Devol)と共同し、1962年に世界初のロボット会社Unimation Inc.を設立した。その前年までにデボルが開発していた産業用ロボット「Unimate」の生産を立ち上げ、GM、フォード、クライスラーなどの自動車メーカーに納入した。自動車工場ではダイキャストやスポット溶接、部品組み立てなどの工程にこの「Unimate」が活用され、ファクトリーオートメーション (FA: Factory Automation) への道を開いた。
初期のロボットのプログラム制御には真空管が使われていたが、次第にトランジスタなどの半導体に置き換わった。
1967年 世界初の郵便物自動処理装置開発(東芝)

日本では、1960年代から郵便物の自動処理機の開発が始まった。手書き文字の郵便番号の読み取り、切手の色の識別による郵便物の分別と押印は世界でも初の試みであった。東芝は1966年に手書き数字を読み取る最初の試作機を完成させ、1967年にはOCR(Optical Character Reader:光学文字読取)の技術を使った世界初の郵便物自動処理装置の開発に成功した。同年、東芝とNECは実用一歩手前の試作品を完成させるに至り、翌年の1968年からUPU(Universal Postal Union:万国郵便連合)の規格に基づいた郵便番号制度の下でこの自動処理機の導入が始まった。日本の郵便制度が1871年に創始されて以来、郵便物の仕分けは、長らく手作業によって行われてきたが、この装置により作業の自動化が進められるようになり、高度情報化社会における省力化機器の先駆けとなった。
1971年 日本ロボット工業会の前身(産業用ロボット懇談会)の設立

一般社団法人日本ロボット工業会(JARA: JApan Robot Association)は、1971年3月任意団体「産業用ロボット懇談会」として設立された。その後、1972年10月に任意団体「日本産業用ロボット工業会」に、そして1973年10月には社団法人化され、1994年6月「日本ロボット工業会」へと発展改組してきた業界団体である。
この工業会ではロボット及びそのシステム製品に関する研究開発の推進及び利用技術の普及促進等を行うことにより、ロボット製造業の振興を図るとともに、広く産業の高度化及び社会福祉の向上に資し、ひいては国民経済の健全な発展と国民生活の向上に寄与することを目的として各種の事業を実施している。
1973年 トランジスタ用自動ワイヤーボンダーの開発(日立)

1973年、日立はシリコントランジスタ組立ロボットを世界で始めて開発した。この装置はAWE(Automatic Wire-bonder with Eye)と称され、トランジスタ素子の画像をTVカメラで撮像し、その2値化データから配線すべき電極位置を見付け、金線で素子とリードフレームを平均0.2秒で接続する装置である。それまで女性の作業者が行っていた作業を機械に置き換えたもので、省力化に大きく貢献した。
後には、より多端子のIC用ワイヤーボンダー、CABS(Computer Automated Bonding System)が開発され、DIP・QFPなど多端子樹脂封止型パッケージの自動組立が可能となり日本半導体製品の信頼性面で優位につながった。日立の技術はその後㈱新川などワイヤーボンダーメーカに引き継がれた。
[半導体歴史館 関連資料]
(パッケージング技術)1973年:トランジスタ用自動ワイヤーボンダーの開発
(装置・材料)1973年:自動ワイヤーボンディング装置(AWE)
1973年 日本初の二足歩行ロボット(WABOT-1)の開発(早大)

WABOT-1(WAseda roBOT-1)は1973年に完成した世界初の本格的ヒト型知能ロボットであり、手足システム、視覚システム、音声システムから構成されている。機能としては、人工の口により人間とのコミュニケーションを簡単な日本語の会話で行い、人工の耳・目により対称物を認識して距離・方向を測定し、2足歩行によって移動し、触覚を有する両手で物体の把握・移動などの作業を行うことが可能である。これは人間にたとえると1才半程度の幼児の能力に匹敵するとみられていた。
1977年 日本初の全電気式汎用産業ロボットの製品化(安川電機)

安川電機は、1972年に、電動式によるロボットの独自開発に着手した。その後の1977年に「MOTOMAN」(モートマン)というブランドで、日本で初めて全電気式産業用ロボットの販売を開始した。
垂直多関節形のマニュプレータ構造を採用したことを特徴としている。同社が得意とするアーク溶接を中心に、スポット溶接、ハンドリング、組立、塗装、液晶パネル搬送、半導体ウエハ搬送など様々な用途に最適なロボットを次々に商品化し市場に投入し、世界の産業用ロボットの市場の活性化に大きく貢献してきた。
主用途の1つ半導体ウエハ搬送は、高速で振動の少ない動作が要求される半導体シリコンウエハを搬送するアプリケーションである。
1980年代 産業用ロボットの普及とファクトリー・オートメーションの本格化

1980年は日本のロボット元年とも呼ばれたほど、日本では様々な産業用ロボットが急成長し始めた。1960, 70年代の高度成長による労働力不足がこの成長を牽引したとされる。1970年代末の日本の産業用ロボット生産高は数百億円規模であったが、1980年代末には5000億円に達し、世界の産業用ロボットの7割が日本で稼働していた。この産業用ロボットの普及は工場全体を自動化してゆく、いわゆるファクトリー・オートメーション(FA)化の形態変化を促進することにもつながった。
オートメーション(automation)という用語は1948年の自動車メーカーのフォードによる造語であり、その後米国で自動化を意味する“antomate”という動詞が派生した(1957年)。この自動化を実現するのが産業用ロボットである。1962年の米国に初の産業用ロボット会社Unimationが設立され、重量物部品の装着やスポット溶接などの危険作業を自動化する様態がスタートした。ファクトリー・オートメーションの始まりともいえる。この産業用ロボットは日本でも注目を集め、Unimationの技術を導入した川崎航空機工業(現在の川崎重工業)が、1969年に日本では最初のロボットを商品化したのを皮切りに、各社がこの市場に参入し自動車産業を中心に産業用ロボットが稼働し始めた。
その一方で、米国では労働組合を中心に産業用ロボットを使うファクトリー・オートメーションの拡大は失業を増やすという懸念も拡がり、普及は限定的であった。しかし高度成長下の日本ではこうした懸念よりも労働力不足の足枷が産業用ロボットの導入を牽引していった。1973年の、精密さが求められるトランジスタ組立用の自動ワイヤーボンダーはその代表例である。1960年にトランジスタ生産量が世界一になった日本では、一工場当たり2000~3000人の組立工程作業者(トランジスタガールと呼ばれた)を要していたが、これにより単純作業労働が一掃された。
このほかにも1970年代には様々な産業分野で、高度な精密作業が求められる生産技術のロボット化が進んでいった。この背景には、半導体のマイクロプロセッサを用いたPLC(Programable Logic Controller)による動作制御技術やサーボモーターの高度化などのロボット関連技術の日本国内サプライチェーン全体の協働があり、1980年の産業用ロボット元年に結実していった。
1980年代には、生産工程を担う精密な作業ロボットの高度化だけでなく、半生産品や部品を搬送するロボットや、それらの工場内ロボット全体を統御するFAシステム化も並行して進んでいった。このFA化も日本の主要産業に成長していった自動車関連産業が牽引したといえる。なお半導体産業においても、各工程の製造装置の自動化が進むとともに、1984年に三菱電機西条工場が、ウェーハカセットの自動搬送ロボットや生産工程を制御するFAシステムを採用した世界初の全自動ファブを稼働させた。
1983年 日本ロボット学会の創立

日本ロボット学会(RSJ: Robotics Society of Japan)は、ロボット工学の学問領域の進展を目指し、研究発表と技術交流の場を専門家に提供することを目的に1983年1月28日に創立された。2011年3月1日に一般社団法人日本ロボット学会に移行した。
会員数は2022年12月時点で、約3,621名そして賛助会員95団体となっている。主要な活動として、学術論文とロボットに関連する最新の状況の解説記事の特集を収録した「日本ロボット学会誌」の発行、欧文誌Advanced Roboticsの発行、そして「日本ロボット学会学術講演会」・「ロボティクス・シンポジア」の主催,ロボティクスに関する新しい分野や基礎的な内容を対象としたセミナーなどの企画・開催、そして論文賞,実用化技術賞,研究奨励賞等を設け,ロボットに関わる分野の学問,技術の奨励を行っている。
1985年 日本初のミュージシャンロボット(WABOT-2)の開発(早大)

1980年、WABOT-1を開発した早大の研究陣は再び共同プロジェクト立ち上げ、WABOT-2開発プロジェクトがスタートした。鍵盤楽器の演奏のような芸術的な活動には、人間のような知性と器用さが必要であることから、目指す知的作業として鍵盤楽器の演奏が設定された。そのため、WABOT-2はWABOT-1のような万能ロボットではなく、「スペシャリストロボット」と定義された音楽家である。人と会話し、通常の楽譜を目で読み、電子オルガンで平均的な難易度の曲を演奏することができ、人が歌うのを聞きながら伴奏をすることもできた。WABOT-2は1985年に完成し、折から開催中の国際科学技術博覧会「科学万博つくば'85」に展示され好評を博した。WABOT-2は、「パーソナルロボット」開発の最初のマイルストーンとなった。
1988年 高専ロボコンの開始(NHK)

高専ロボコン、正式名称は「アイデア対決・全国高等専門学校ロボットコンテスト」が、1988年にスタートした。若い人達が、既成概念にとらわれず、「自らの頭で考え、自らの手でロボットを作る」ことの面白さを、体験してもらい、発想することの大切さ、物作りの素晴らしさを共有してもらう全国規模の教育イベントである。
2022年には、全国の高等専門学校57校62キャンパスから124チームが北海道・東北・関東甲信越・東海北陸・近畿・中国・四国・九州沖縄で開催される地区大会に参加し、そこで選ばれた25チームが全国大会に進む。開始以来、発想力と独創力を合言葉に毎年魅力的なロボットが生まれ、ハイレベルな試合が繰り広げられている。
1991年 NHK学生ロボコンの開始(NHK)

日本全国の大学が参加するロボットコンテスト「NHK大学ロボコン」として1991年から始まった。2015年より参加枠が広がり、高等専門学校や大学校も出場できるようになり、「NHK学生ロボコン」と名称を改めた。書類選考、2回のビデオ審査を経て、選ばれたおよそ20チームがアイデアとチームワークを駆使して競い合う。優勝したチームは、日本代表として世界大会「ABUアジア・太平洋ロボットコンテスト(ABUロボコン)」へ出場することができる。
 注)ABU: Asia-Pacific Broadcasting Union、アジア太平洋放送連合
1996年 二足歩行ロボットの開発(ホンダ)

ホンダでは1986年頃から二足歩行ロボット(Biped Walking Robot)の開発を進めていたが、その成果を始めて発表したのは1996年のP2(プロトタイプ2)モデルである。P2の性能はこれまでの技術レベルをはるかに凌駕しており、世界のロボット研究者の注目を浴びた。開発の動機には、手塚治虫の鉄腕アトムがあったとされる。
世界初の、外部から電源供給などを行わない(電線の紐付きでない)自立型人間サイズロボットで、脚部と上体を組み合わせて非常に質の高い二足歩行を実現したことが注目された。基本機能としては、階段昇降、台車押し、ドア通過、物の運搬、遠隔操縦による作業が備わっている。DCサーボモータで関節を駆動し、足首には、力センサー、ジャイロ、加速度センサーを備えている。ロボットは無線接続のワークステーションで操作した。
1997年 第1回ロボカップの開催(名古屋)

ロボカップはロボットによるサッカーの競技大会であるが、その目的とするところは「2050年にヒト型ロボットで人間のワールドカップ・チャンピオンに勝つ」ことである。その研究過程で生まれてくる科学技術を世界に還元することを主たる目標としている。
1993年に北野宏明(ソニー)、浅田稔(大阪大学)、松原仁(電総研)の日本のロボット研究者によって提唱された。第1回ロボカップは1997年に名古屋で行われ、その後毎年世界の各地で行われている。研究成果を同時開催のシンポジウムで公開することによって、最新技術が広く共有され、技術の進歩が加速される効果が期待されている。
1999年 自律型エンターテインメント・ロボットAIBOの発売(ソニー)

ソニーはエンターテインメント用として世界初の自律型ロボットAIBOを発売した。ネット経由で販売したところ、発売後20分で仕込みの3000体がすべて完売し、予想を上回る反響を得た。AIBOはその後2000年6月まで発売された。AIBOの名称はArtificial Intelligence roBOtに由来し、日本語の「相棒」にちなんでいる。AIBOは本体制御のハードウェアと感情、本能、学習機能などのソフトウエアによって構成され、自分で考え、動くことができ、ユーザーとの経験を共有できるような新しいスタイルのロボットである。全長約30cmの犬型ロボットである。
AIBO ERS-110には、CCDイメージセンサ(1/5インチ,180K画素)、感圧センサー、加速センサーが搭載され、64ビットRISCプロセッサ(16MBメモリ、アペリオスOS)で制御される。尻尾にステイックメモリが装着できる。制御用の半導体としては、当時の最高性能マイコン、ロジック、FPGA、DRAM、フラッシュメモリの他、各種のMEMSなどの先端技術製品が使われている。
[半導体歴史館 関連資料]
(応用製品)1999年 自律型ロボット、AIBOの発売(ソニー)
2000年 外科手術ロボット、ダ・ヴィンチの開発と実用化(米国インテュイティヴ・サージカル社)

ダ・ヴィンチ システム(da Vinci Surgical System)は1980年代末にアメリカ陸軍が国防高等研究計画局(DARPA)に開発を依頼したものであり、遠隔操作によって戦場の負傷者に対して必要な手術を行うことが目的とされた。しかし、湾岸戦争が予想より早く終結したために開発は軍の関与を離れ、以後民間で開発が続けられた。インテュイティヴ・サージカル社(Intuitive Surgical, Inc.)によって1999年に開発が完了し、2000年7月にアメリカ食品医薬品局(FDA: Food and Drug Administration)の承認を得て、実用化が始まった。
日本では2000年にアジアで初めて慶応義塾大学病院が導入、九州大学病院がこれに続いた。治験が行われて、2009年に厚生労働省薬事・食品衛生審議会で国内の製造販売が承認された。2012年4月1日より前立腺癌の全摘手術が保険適用となっている。国内には2016年9月末時点で大学病院を中心に237台導入された。
2000年 ヒト型ロボットASIMOの発表(ホンダ)

ホンダは小型軽量で人間の歩き方に近い歩行が可能となった新しいヒト型ロボット「ASIMO(アシモ)」を発表した。ASIMOはAdvanced Step in Innovative Mobilityの頭文字をとったものである。従来の開発技術をベースとして、さらに進化・発展させ、実際に人間の生活空間で作業することと親しみやすさを両立できるサイズとしながらも人間の歩き方にさらに近づいた自然でスムーズな歩行を実現した。
<主要諸元>
身長:120cm、重量:43kg、最大速度:1.6km/h、関節自由度合計:26、制御部には、歩行・動作制御ECUとワイヤレス通信ECU、センサーには、足部に6軸センサーを、胴体部にはジャイロ・加速度センサーを搭載。
ワークステーションにより、スタートアップや定型動作を自動で実行できる。さらに、携帯コントローラを用いてロボットを簡単に自在歩行(前進・後退/カニ歩き/斜め歩き/旋回)させることができる。また、登録された動作(握手/両手を振る/バイバイ/おじぎ等)は、この携帯コントローラのボタン操作により選択実行できる。
2002年 ロボット掃除機ルンバ(Roomba)の商品化(iRobot)

ルンバ(Roomba)はiRobot社によって1997年から開発が進められ、2002年に商品化された。ルンバには接触センサーや赤外線センサーがついており、独特の動きによって部屋中をくまなく掃除する仕組みになっている。このネーミングの由来は、部屋の「ルーム(Room)」とラテン音楽の踊りの「ルンバ(Rumba)」をかけ合わせた造語で、「ルンバ(Roomba)」と名付けられた。弾むような発音で親しみやすく、家族の一員として可愛がってもらえるような願いが込められている。2012年までの10年間で累計800万台(世界)が販売された。日本では、2016年10月末までに販売台数が200万台を突破したと言われている。2020年には、世界累計販売台数は4000万台、国内出荷台数は7月時点で500万台に達した。
2002年 ABUロボコンの開始(アジア太平洋放送連合)

ABUアジア・太平洋ロボットコンテスト(ABU Asia-Pacific Robot Contest、略称ABUロボコン)が、2002年の東京大会からスタートした。若いエンジニアたちの「モノづくり」に対する情熱と能力の育成、人材交流を目的とし、アジア・太平洋地域の放送機関の連合体、アジア太平洋放送連合(ABU: Asia-Pacific Broadcasting Union)が主催している。毎年、ABUに加盟するテレビ局がホストとなり、各国の文化を反映した大会となっている。
2003年 二足歩行エンターテインメント・ロボットQrioの発表(ソニー)

ソニーのヒューマノイド・ロボットのプロトタイプはSDR3として2000年に発表された。その3年後に公開されたQrioは、ダンスを踊り、集団でシンクロした動作ができるなどのエンターテインメント機能がさらに充実したものとなった。イメージセンサによって人の顔を認識して記憶するなど、人間とのコミュニケーション能力も優れていた。その後ロボカップなどのイベントで愛嬌を振りまく機会もあり、高い人気を博したが、2006年に開発・生産が中止となった。
このロボットには多くのデバイスが使われており、その処理能力は当時のハイエンドPCと同等以上である。また、従来のPCや携帯電話・スマートフォンなどと大きく異なる点は、多くのセンサー類が使われていたことである。
<主要諸元>
身長:58cm、重量:7kg、関節自由度合計38
<各種デバイス>
LSI:64ビットMPU 3個、16ビットMCU 29個、カスタムLSI 4個、DSP 23個、FPGA 3個、DRAM 19MB、フラッシュメモリ 16MB
センサー類:イメージセンサ 2個、マイクロホン 7個、角速度センサー 1個、加速度センサー 3個、圧力センサー 8個、IR距離計 3個、温度センサー 6個、触覚センサー 6個、スピーカー 1個(合計 37個)
2007年 DARPA主催アーバンチャレンジ(自動運転車の走行コンテスト)

アメリカ国防高等研究計画局(DARPA: Defense Advanced Research Projects Agency)主催の自動運転車コンテストは2004年、2005年にも行われたが、いずれの場合も自動車は隔離された場所での走行に限られていた。2007年のアーバンチャレンジは実際の市街地を想定したルートを自動走行するコンテストであった。ルールは全長96kmのコースをあらゆる交通規則を遵守しつつ、6時間以内に完走することとである。結果は6チームが完走し、1位はカーネギーメロン大学とGMの合同チーム(平均22.5km/h)、2位はスタンフォード大学とフォルクスワーゲンの合同チーム(平均22.0km/h)であった。
2008年 ロボットスーツHALの開発と製品化(筑波大)

HAL(ハル、Hybrid Assistive Limb)は生体電位信号を読み取り動作する世界初のパワードスーツ。筑波大学の山海嘉之らによって開発され、製品化が進められた。装着者の皮膚に取り付けられたセンサーを通して微弱な生体電位信号を感知し、内蔵コンピューターによってその信号が解析され、サーボ機構によって装着者の動きを補助するようにスーツが動作する。スーツ全体は腰に取り付けられた電池によって電力供給された。2014年、世界で初めて、「パーソナルケアロボット」と呼ばれる生活支援ロボットの安全性に関する国際規格(ISO13482)の認証を取得した。2015年、厚生労働省は医療機器「HAL医療用下肢タイプ」の国内の販売を承認した。筋萎縮性側索硬化症など8つの難病のいずれかに診断された患者が対象となる。2016年より、医療保険適用が始まった。
2009年 表情機能のある人間型ロボットHRP-4Cの開発

HRP-4C(HRP: Humanoid Robotics Project)は、独立行政法人産業技術総合研究所が開発したヒューマノイド・ロボット(サイバネティックヒューマン、Cybernetic Human)で、2009年3月16日に発表された。人間に近い外観・形態を持ち、人間に極めて近い歩行や動作が可能となり、音声認識などを用いて人間とインタラクション(相互作用)ができる。
HRP-4Cは、身長158cm、体重43kg(バッテリー含む)で、関節位置や寸法は日本人青年女性の平均値を参考に、人間に近い外観を実現した。歩行動作や全身動作はモーションキャプチャーで計測した人間の歩行動作や全身動作を参考にして、HRPにおいて開発された二足歩行ロボットの制御技術を適用することにより、人間に極めて近い動作を、また、音声認識にもとづく応答動作など人間とのインタラクションを実現した。頭部には、USBカメラを備え、コンピューターはPCI-104規格のPentium M(1.60GHz)を搭載している。
2010年代 ドローンの開発・普及

ドローンは遠隔操作または自律式のマルチコプターまたは無人航空機をさす。パロット(Parrot)社(仏)は2010年、スマホで操作することができるドローン(AR. Drone)を市場に導入し、これを契機としてドローン市場が立ち上がった。翌2011年にはDJI(Da-Jiang Innovations Science and Technology Co., Ltd.)社(中国)がドローン関連商品の販売を開始し、急速にシェアを広げていった。2017年には、両社はドローンの2大メーカーであり、中でもDJIは70%の市場シェアを持つといわれた。ドローンに使われるイメージセンサや加速度センサー、ジャイロセンサー、GPSなどはスマホにも使われるため、その量産効果によって、性能改善とコスト低減が進んだ。このような低価格で優れた性能の部品を使うことによって、高性能ドローンを低価格で生産することができるようになったのである。
元々ドローンの技術は1970年代から軍用として、偵察目的などに使われていた。後に開発された米軍のプレデター(Predator)は偵察のみならず、攻撃用としても使われるようになった。その一方、産業用目的のドローンは1980年代に開発された農薬散布用のドローンであった。その先頭を切ったのはヤマハ発動機であり、1987年に「産業用無人ラジコンヘリコプター」として販売を開始した。折からの農業人口の減少への対策として、ドローンの応用が急速に進み、2002年には世界の65%のドローンが日本で使われていると言われた。
ヤマハ発動機は、2022年10月6日に、産業用マルチローターシリーズの新機種「YMR-II」と次世代産業用無人ヘリコプターの「FAZER R AP」(フェザーアールエーピー)を発表した。「YMR-II」は、安全・安心な国産農業用ドローン”を目指して開発されたが、高い情報セキュリティ機能を備えたことが最大の特徴であり、これによって、農業生産現場で得られたノウハウの流出、機体の乗っ取りなどから生産者を守ることを実現した。「FAZER R AP」は、(1)初心者でも運用が簡単な新型自動飛行用アプリケーションを用いた自動航行により、高精度な直線長距離散布による大規模圃場での散布に対応、(2)自動飛行時にボタン操作で作動する自動離着陸機能、(3)利便性の高いリモートエンジンスタート、を実現した。高度な操縦技術が求められる無人ヘリコプターに自動飛行機能を追加することで、操縦者の負担を軽減するとともに、農薬や肥料などの散布作業の効率化や散布品質の均一化にも寄与している。同社は、さらには、動く作業台”をコンセプトとした果樹園作業支援自動走行車のコンセプトモデルも発表し、農業市場でのさらなるブランド強化を目指している。
ドローンは世界各地で、災害地における状況確認、荷物の配達、警備、スポーツにおける空撮、など急速にその応用分野を広げてきた。
[半導体歴史館 関連資料]
(応用製品)2010年代:産業用無人ヘリコプター(ドローン)の実用化(ヤマハ発動機、他)
2010年 自動運転車が公道走行試験で14万マイル無事故走行(グーグル)

グーグルでは2009年に自動運転車の開発プロジェクトをスタートした。メンバーは2005年のDARPAグランドチャレンジで優勝したスタンフォード大学のセバスティアン・スランを中心とする15名で構成されていた。トヨタのハイブリッド車「プリウス」などをベースにした試作車を作り、2010年には14万マイル(約22万km)の公道での走行試験を無事故で終えたことを発表した。続いて、2012年には公道試験の無事故記録は30万マイル(約48万km)に達し、2014年には70万マイル(約110万km)に達した。2017年6月には走行距離は300万マイル(約480万km)まで延びた。
車両にはレーザーカメラやレーザースキャナなど各種の視覚装置が備えられて、道路情報(周辺の車両、歩行者、交通信号、障害物など)を識別する。これらの情報をコンピューターが総合的に解析し、ハンドル、アクセル、ブレーキなどの運転動作の最終決定を行う。このために使われている人工知能がグーグルショーファー(Google Chauffeur)である。
2016年末、グーグルの開発プロジェクトは同社が分社化して誕生したウエイモ(Waymo)に移管された。
2011年 ASIMOに自律制御技術を搭載(ホンダ)

ホンダは従来のヒト型ロボットASIMOにさらに改善を加え、あらかじめ設置された空間センサーの情報をもとに人の歩く方向を予測し、衝突を回避することが可能となった。また、身体能力の向上により片足けんけんや両足ジャンプなどを連続して実行することが可能となった。さらに3人が同時に発する言葉を認識することができるようになった。
<主要諸元>
身長:130cm、重量:48kg、最大速度:9km/h、稼働時間:40分、 関節自由度合計:57
[半導体歴史館 関連資料]
(応用製品)2011年:世界初の自律行動制御技術を「ASIMO」に搭載(ホンダ)
2014年 世界初の感情認識ロボットPepperの発表(ソフトバンク)

感情認識ができるヒト型ロボットのPepperは2014年6月5日に発表され、翌日の6月6日より一部のソフトバンクモバイル販売店に設置された。販売価格は19万8千円。同年12月1日よりネスレ日本のネスカフェにて接客を開始した。開発者向けの製品は2015年2月から開始されたが、発売1分で売り切れとなった。また、一般向けにも700台が発売されたが、すぐに売り切れとなった。2016年1月以降は生産体制が整備され、常時入手可能となった。
Pepperはインターネットに常時接続されており、人間とのスムーズな対話が可能である。また、学習機能を有しており、他のPepperが学習したこともネット経由で共有することができる。このロボットには、
  • 頭:マイク×4、イメージセンサ×2、距離センサー×1、タッチセンサー×3
  • 胸:ジャイロセンサー×1
  • 手:タッチセンサー×2
  • 脚:ソナーセンサー×2、レーザーセンサー×6、バンパーセンサー×3、ジャイロセンサー×1、赤外線センサー×2
が組み込まれた。CPUは、Intel Atom 2530(45nm、512Kキャッシュ、1.60GHz)、E3845(22nm、2Mキャシュ、1.91GHz)が採用された。
[半導体歴史館 関連資料]
(応用製品)2015年:感情機能搭載の人型ロボット「Pepper」を本格導入(ソフトバンク)
2016年 自動運転車(レベル2)の販売開始(テスラ、メルセデスベンツ、日産)

自動運転車はその自動化の水準によって下記のように定義されるが、2016年にはテスラ、メルセデスベンツ、日産からレベル2の車両が販売された。いわば「半自動運転」時代の始まりである。日本政府は2025年までにレベル5の完全自動運転車を販売することを目指した。
  • レベル1(運転支援):加速・操舵・制動のいずれか単一をシステムが支援的に行う状態。(自動ブレーキなど)
  • レベル2(部分自動運転):システムがドライビング環境を観測しながら、加速・操舵・制動のうち同時に複数の操作をシステムが行う状態(高速道路で一つの車線に留まる場合など)
  • レベル3(条件付自動運転):限定的な環境下において、システムが加速・操舵・制動を行うが、システムが要請したときはドライバーが対応しなければならない状態。
  • レベル4(高度自動運転):特定の状況下(例えば極限環境を除く天候などの条件)において、加速・操舵・制動といった操作を全てシステムが行い、その条件が続く限りドライバーが全く関与しない状態。
  • レベル5(完全自動運転):無人運転。考え得る全ての状況下及び、極限環境での運転をシステムに任せる状態。
日産が「スカイライン」に搭載した運転支援技術「プロパイロット2.0」を例にとると、7個のイメージセンサ、5個のミリ波レーダ、12個のソナーと、GNSS (Global Navigation Satellite System)、3D高精度地図データで、車両の周囲360度の情報、道路と自車両の正確位置関係、道路前方の曲率、勾配などの道路形状を把握し、車速・車間制御、車線維持、車線変更支援、追い越し支援、ルート走行支援などの機能を有した。
2020年 GPS利用田植えロボットの出荷(クボタ)

田植えロボットは、位置を高精度GPSで、車体の傾きや進行方向を姿勢センサーで計測し、コンピューターで操舵、車速、植え付け部等を制御して自動で田植えを行うが、予めGPSで計測した水田の形状に合わせて設定した作業経路に沿って田植え作業を行う。ロングマット苗(長尺のロール苗)を用いることで、30アールの水田圃場(ほじょう)の隅々まで、約50分かけてノンストップで完全無人移植作業を完了できる。農機メーカーとして国内首位、世界3位を誇るクボタは、業界初の自動運転農機「アグリロボ田植機NW8SA」を発売した。同社は、農業のトータルソリューションカンパニーとして、現場のニーズに合った農業機械の開発から農作物の生産、加工、消費などに至る各段階をトータルでサポートするソリューションを提供し、世界の農業を支え、人と食の豊かな未来を担っている。作業進捗・栽培管理や作物情報を機械と連動し収集・分析を行い、経営に役立てるKSAS(Kubota Smart Agri System)に加えて、耕運機や収穫など機械化済みの作業効率をさらに引き上げ、最小限の労働負荷で精密な作業を可能とする研究開発にも注力している。同社が考える自動・無人化のステップには3段階があるが、2020年はステップ1を実現した段階である。
  • ステップ1 搭乗状態での自動操舵、慣性計測・GPS
  • ステップ2 有人監視下での自動化・無人化、現場立ち合い、搭乗監視、自動走行・自動作業、複数協業作業
  • ステップ3 完全無人化、遠隔監視、自動制御(知能化)

 

[ページトップに戻る]

 


[最終変更バージョン] Ver.001 2023/8/1