1960年代
情報化社会へ向けた半導体産業
~業界動向~
1963年、雑誌「放送朝日」の1月号に梅棹忠夫の「情報産業論――きたるべき外胚葉産業時代の夜明け」という論文が発表された。この論文で“情報化”という概念が登場し、日本で少なからずセンセーションを巻き起こしたとされる。日本では1960年代初頭からカラーTV放送が始まり、コンピュータも次第に導入されるなかで生態学者の梅棹が鋭敏に感じ取った社会変化であろう。そして1960年代半ばごろから情報化社会あるいは情報社会という用語が使われ始めた。1973年のD.ベルによる “The Coming of Post-Industrial Society(脱工業化社会の到来)[1]、1980年のA.トフラーによる”第三の波“[2]に先んじた社会あるいは産業動向の把握である。
トランジスタがIC化され、VLSI化へと移行する1960年代はまさしくこの情報化社会への移行が加速し始めた時代と位置付けられよう。1965年のムーアの法則[3]や1964年のIBM System360[4]はその顕れといえる。それ故に米国では宇宙用・軍事用・産業/商業向けの情報通信用半導体デバイスのイノベーションが進み、日本でもこれら先進技術を学習・導入しながら(民生電子機器への応用にも力点が置かれた)半導体産業は情報化社会に向けて突き進んでいったといえよう。
【参考文献】
- ダニエル・ベル 「脱工業社会の到来」ダイヤモンド社 (1975)
- アルビン・トフラー 「第三の波」日本放送出版協会 (1980)
- 日本半導体歴史館 業界動向1965年 「ムーアの法則」がシリコンバレーから発表
https://www.shmj.or.jp/industry-trends/it196005.html - 日本半導体歴史館 業界動向 1964年 メインフレームコンピュータの登場
https://www.shmj.or.jp/industry-trends/it196004.html
Ver.001: 2026/2/1
